「愛に乱暴」

「愛に乱暴」 Ⓒ2013 吉田修一/新潮社 Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

2024.8.30

この1本:「愛に乱暴」 江口のりこ圧巻の演技

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

気づけばスクリーンに、江口のりこがいた。デビューから20年以上のベテランだが、ここ数年の活躍がめざましい。2024年だけで「あまろっく」「お母さんが一緒」「愛に乱暴」と、毛色の異なる主演映画が3本も公開。「愛に乱暴」では次第に壊れてゆく主婦を、恐ろしくも悲しく演じている。

江口が演じる桃子は、夫真守(小泉孝太郎)の実家の離れに夫婦で住んでいる。義母照子(風吹ジュン)を立てつつ、つかず離れず、居心地良く家を整えリフォームを計画し、昔の勤め先が運営するセッケン教室の講師も務め、充実した日々を送る。しかし一方で、気がかりも絶えない。子供に恵まれず、ゴミ置き場でボヤ騒ぎがあり、真守はどこか上の空だ。

〝理想の主婦〟を生きているはずなのに、桃子の表情の底にはずっと緊張感が漂っている。気遣いや献身が微妙に空回りし、周囲としっくりいかないかすかな違和感。そうした不穏な精神状態を、画面に登場した瞬間から醸し出す。

やがて真守の浮気が発覚、セッケン教室も閉鎖となり、桃子の生活はガラガラと崩壊してゆく。心の底に不安や怒りを沈殿させ見ないふりをしていたのに、真守の不貞をきっかけに表面に現れ、やがてすべてを支配する。あるべき姿に固執するあまり、その言動は次第に常軌を逸し、狂気の淵にまで至る。

序盤では、朝のゴミ出しのたびに母屋に声をかけるまめまめしいホームドラマの奥様のようだった姿が、終盤になると畳をひっくり返して赤いチェーンソーで床板を切り裂き、縁の下を泥だらけではい回り、ホラー映画の一場面のよう。ほぼ出ずっぱりの江口が、桃子の変化を途切れなく演じて圧巻だ。

そしてその姿は、次第に哀れみを感じさせる。桃子は不実な真守に裏切られる被害者である一方、「妻」や「嫁」でしかないうつろな存在であることを突きつけられるのだ。

吉田修一の同名小説の映画化。森ガキ侑大監督。1時間45分。東京・シネスイッチ銀座、大阪・テアトル梅田ほか。(勝)

ここに注目

ひょろりとした長い手足を持て余しているような、鬱屈を抱える桃子に江口がぴったりとはまっている。ややもすれば度を越えたものに見えそうな桃子の行動に説得力があるのは、江口が演じたからこそだろう。チェーンソーが似合う個性は得難い。重めの前髪の下にさまざまなものを隠していそうな小泉は、これまでのイメージとは違う新しい顔を見せている。原作の叙述トリックの脚色も技あり。日本人にとっての〝家〟の呪縛の向こう側に見える、自分軸で居場所を求める物語としての爽快感もあった。(細)

技あり

重森豊太郎撮影監督がフィルムで撮影した。巧みに硬めな階調で統一感を作っている。シーンの構成は、全体を見せ、途中でカメラが動き、回り込んで芝居を見せる。桃子が真守の愛人宅に乗り込む場面。向かい合って座る2人、愛人の肩越しに桃子の表情が見えるように微妙にカメラを動かし、愛人はぼかす。また、桃子がセッケン教室の打ち切りを、元上司に確かめにいくところ。バストショットの元上司の手前に、桃子が入った感じの画(え)作り。こういう撮り方はシーンの途中でカットするのが惜しい時に使う。(渡)

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