国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2024.3.27
2024年上半期の傑作! 井上竜太プロデューサーが「夜明けのすべて」を生み出した背景を探る
筆者は 「どちらかというと、ジャーナリストよりアーティストに近い評論家」らしい。
非常にずうずうしいが、これが思いやりの深い日本映画界の仲間たちが、気難しいキャラクターの筆者を説明する時の要諦なのだ。筆者には国際映画批評家連盟(FIPRESCI)の一員としてドイツで活動し、第46回ベルリン国際映画祭と第34回シカゴ国際映画祭の審査委員を務めた叔父に映画評論の作法を師事し、学歴としては海外の4年制芸術大学の演劇映画学科を卒業し、修士号まで取得した経歴がある。しかしとても残念なことに、これで筆者の才能を証明できるわけではない。
富川国際ファンタスティック映画祭で日本映画アドバイザーを務め、今も全州国際映画祭の閔盛郁(ミンㆍソンウク)委員長のアドバイザーの役割を果たしているが、これも同僚たちの才能がなければ成り立たなかったこと。自分のフィルモグラフィーに書けることは、たかだか17年前にプロデュースした済州映画祭の長編ドキュメンタリー映画しかない。それにもかかわらず、とんでもなく敏感な性格で、しばしば厳しいことを言っている。
日本映画の歴史をひもとき続け、その先を描き続ける井上竜太
それでは、何と言おうか。そう、創作の世界で生きているが、相手の言うことに聞く耳を持ち、ワールドクラスの忍耐心という独歩的に寛大な日本人特有のパーソナリティーの仲間たちが未熟な自分を包容するために無理やり論理を作ってくれているのだ。何かアンバランスさを感じる読者の方もいらっしゃるかもしれないが、実に「純映画の守護者」という名称が似合うプロデューサーだが、職責上は国内有数の総合エンターテインメント社の執行役員(映像事業本部長)という少し堅苦しい役職の男・井上竜太は、筆者の意地悪な性格の被害者でありながら、一度も怒ったことのない度量の広い友人だ。
しかし、彼の真の長所は度量だけではない。すぐに大学の映画理論講座を担当してもおかしくないほどの評価を受けている。それも国際交流基金で日本映画専門家として認められている筆者ですら到底ついていけないほど、日本映画史の古典を渉猟している。「歩く国立映画アーカイブ」と呼んでもいいくらいだ。それに映画に向き合う姿勢も真剣この上ない。彼がテレビ局のディレクターとして活躍したことを除いて、長編映画プロデュースのデビュー作「パレード」でベルリン国際映画祭のFIPRESCI賞を受賞したのはもう14年前。これならたまにベテランならではの傲慢さを見せてもおかしくないだろうが、全くそうではない。いつも映画について真剣に討論し、意見を出し、新しい企画のアイデアが浮かぶと独り言で同じ単語を繰り返して意識に刻印させる姿を見ると、これは間違いなく「映画青年」の姿である。
ひとりひとりに語りかけるように、観客の心を揺さぶる井上作品
そんな彼と三宅唱がコラボをして、「夜明けのすべて」という2024年の上半期トップクラスといえる傑作を生み出した。これは「記念碑的事件」といっても過言ではない。そもそも同作を企画・プロデュースする井上と監督である三宅唱の出会いは、筆者が委員長アドバイザーを務める全州国際映画祭であること。さらに再会の場は、毎日映画コンクールと高崎映画祭という筆者との縁が深い場所であることにも感じ入るものがある。
プロデュース作品の「パレード」と「白夜行」で、ベルリン国際映画祭の〝出品作プロデューサー〟というタイトルを加えた井上の経歴に、3度ベルリンという地名が記される栄光を与えた「夜明けのすべて」は、過酷な世の中を楽観と肯定で突破していく人間像を見事に描き出した点で「三宅唱映画」でもあるが、そのナラティブの展開で生半可な小技を使わず、まるで雑味のない作り方で「世界八大不可思議」としか言いようのない味を披露する京料理のような正攻法を駆使している面で「井上竜太映画」でもある。単純な空間と日常的ではないが(PMS=月経前症候群=とパニック障害、それぞれで苦しむ2人の主人公)、その衝撃的な姿を引き出して勝負するのではなく、小学校のために移動型プラネタリウムを作る小さな会社という限られた空間を通じて、時々刻々些細な感動を重ねていく絶妙なストーリーテリングで「感動の漸層法」を完成させている。
驚くべきことは、このすべてのドラマがツーピーススーツを着たままバス停で倒れて眠ってしまう彼女を見れば、誰でも気になって没頭せざるを得ない導入部で、興味を浮沈なしに維持しながら、何ひとつ無意味に登場しない要素を通じて、散らばっていた細かいパズルをはめるように堅固なドラマの構造を完成していくこと。2人ともドキドキする気持ちで、恋人、友人、同僚、あるいは家族、どちらにも特定できない2人の絆を見守っていた観客を、映画を見てからも何日も長い余韻を残すエンディングに案内する。長野のロケ地で極めて短い製作期間だった作品とは到底見えない完成度が感嘆を誘った井上の監督デビュー作の 「リスタートはただいまのあとで」を思い出したのも偶然ではないだろう。
井上竜太による骨太の企画&プロデュース作品「夜明けのすべて」
同作の企画が原作小説を耽読(たんどく)した井上の提案から始まったところを見ると、おのずとうなずける。さらに、同作の真の逆転のポイントは、この輝かしい完成度の作品の企画制作会社がホリプロだということ。エンターテインメント社といえば、ローマ字のアイドルグループの名ばかりを思い浮かべる筆者の活動拠点を考えれば、実に「革命的な成果」と言わざるを得ない。
どうか純映画にそこまで優しいわけではない日本映画産業の厳しい環境の中でも、2月9日の公開以来、30館以上のスクリーンで観客に会っているこの大切な作品が、一人でも多くの人々に届きますように。そして再び彼に会えた時には、「神様の声」と呼ばれる日本のミュージシャンを主人公にした音楽ドキュメンタリー映画に対するアイデアを交わした楽しい飲み会が続くことを願っている。