国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2024.1.31
シアターに足を運び丁寧に鑑賞したい、杉田協士監督最新作「彼方のうた」
北米初の大規模映画館、ストランドシアターがオープンしたのは1914年。一度に1人しか見られなかったキネトスコープと呼ばれる映画鑑賞装置が発明された1890年以降、300人ほどの劇場規模(ニッケルオデオンなど)の限界を乗り越え、3千人に迫る観客の映画鑑賞が可能になった技術革新の快挙であった。上昇一路の映画の威勢は13年後、ストランドシアターの約2倍の規模で「映画の大聖堂」と呼ばれたロキシーシアターが登場し、頂点に達する。しかし、第二次世界大戦を迎えて停滞していた観客増加傾向は、1950年代に入ってからテレビの普及により下向き曲線を描くようになり、多くの映画館は廃業や業種変更に追い込まれた。その後60年代半ばまで全盛期の3分の1規模にまで減ったが、底を打った劇場の数は再び上昇の勢いに乗り、80年代には約2万を突破した。79年、カナダのトロントに世界最大規模の支店をオープンし、映画産業のパラダイム変化を予告したシネコン出現の結果だった。
経済史の流れは隣国でも変わらなかった。ハードウエアとソフトウエアの変化とあいまって、ジェットコースターに乗っていた韓国映画は、2000年以降シネコンの登場で産業化の基盤を築く。しかし、多様性の面ではどうだろうか。国民の半分以上が住んでいる首都圏のホットプレースを占領しているシネコンに行くと、ヒット作以外の映画を見るのは難しい。状況がこうなのでインディーズㆍ実験映画の最前線に置かれた作品を紹介する全州国際映画祭で受賞した監督の映画でも、ただ上映されずに消えていく作品は数え切れないほどだ。
現代のミニシアターで「彼方のうた」が上映される意味
本稿で扱うベネチア国際映画祭と釜山国際映画祭、東京国際映画祭、そしてウィーン国際映画祭で絶賛された「彼方のうた」は、このような産業的環境でシネコンのスポットライトの向こうに立っていたのがむしろ幸福だった映画と言える。いや、正確にはアジアのどんな国とも違う日本映画文化の象徴であるミニシアターに特化している作品に感じる。
日本の映画産業におけるミニシアターの地位は、「50席から200席の規模の単館劇場」という意味以上だ。所有者の決定や立地問題、すなわち「恣意(しい)」あるいは「他意」によって産業化の波から離脱した劇場は、経済的豊かさを享受することはできなかったが、意外な恩恵を享受した。大型配給会社から自由になった支配人らはCEO(最高経営責任者)でありプログラマーとして多様性映画に注目し、その結果ミニシアターは芸術性ㆍ実験性が強く、さらには短編まで包括する作品のウインドーとして位置づけられている。既存のインディーズ映画監督はもちろん、新人であっても、支配人を説得することができれば、上映やデビューの機会を得ることができた。それだけでなく、スクリーンは一つでも時間帯別に異なる作品の上映が可能な運営方式のおかげで、劇場ごとの個性をアピールすることで常連を確保することもできた。そんな中、ミニシアターの封切り作がボックスオフィスでメジャースタジオの映画と競争を繰り広げる場合も現れた。
作品を通じ、唯一無二の個性を放ち続ける杉田監督
その独創性や芸術性が上述のミニシアターに最適な映画を作り出しており、デビュー作から国際映画祭で注目された「驚異の映像作家」杉田協士を思うと、筆者はいつも「カイエㆍデュㆍシネマ」を創刊し、芸術としての映画に対する理論を確立し、映画批評に先駆的な業績を残したアンドレㆍバザンが一緒に思い浮かぶ。杉田はバザンの「映画監督は単に他人のアイデアを実行に移す人ではなく、自分の考えを映画作りに吹き込み、製作過程を制御しながら秩序を与え、独特の特徴を作り出す存在」という定義に合致するだけでなく、「映画は創作者の個性の反映」という主張の化身のような人物だからだ。
たとえ杉田の映画のクレジットから監督の名前を消しても、2011年以降、彼が発表している4本の長編映画をそれ以外の誰かが作ったと予想することはできないと断言できる。彼は 「長編第1作の『ひとつの歌』を作った時から、根底では同じ映画を、そのときの自分の最良のものとして作り続けているという意識をどこかで持っている」という。しかし、それが何の変化もない映画を作っていくという意味ではない。短歌を原作にしたり、自分が書いた特有の映像言語と人生の瞬間を捉えたものをあえて説明しないことで観客の想像力を介入させ、さらには生命力を持った生き物として映画を観客が楽しめるようにする映画的体験を提供しているのだ。
この独歩的な作風を実現するために、彼は自分たちがカメラやマイクを向けることになる、この世界にある人やものたちへの敬意が先にあって、そんな中でもせめて映画として何がやれるだろうかという態度で作っているいつも同じスタッフに撮影、編集、音楽、音響を担当させる映画製作の方式を維持している。ここでもうひとつ重要なことは、この全てがトップダウンの縦割りではなく、同僚としての横割りの連携によって、今まで発表した4本の映画でどれも共通していない様相を見せるシナジー効果につながったということ。
産業の枠にははまらない、杉田然とした4作目長編映画「彼方のうた」
特に主演の小川あんから受けたインスピレーションが制作のきっかけとなったという今回の「彼方のうた」での成就は驚くべきものである。単純だが精巧なサウンドとイメージの結合に注目し、「映画的瞬間」を具現する同作は、稠密(ちゅうみつ)に構成されたエピソードの代わりに登場人物が出会い、何かを共にすることを通じて映画的感興を引き出すことで、ありふれた家族映画やメロドラマとは異次元のカタルシスを届けている。そして見逃せないのがかなり堅固なビハインドストーリーが存在しそうだが、そのために意図的にある前提を設定したのではなく、人生の一瞬をカメラに収めたような無作為の構成の神秘性。ここまできたら大資本による画一化の大量生産を押し付けるモダンフィルムインダストリーでは、決して生まれることのない「手作り逸品」の大切さをたった千何百円で値付けすることに申し訳ない気持ちが感じられる。
「劇場公開は順調ですか」。釜山で「彼方のうた」をあまりにも見たがっていたが、オンラインの前売りさえわずか数分で売り切れてしまうほどの熱気で、結局希望を果たせないまま帰国した知人のインドの映画人からのメッセージ。ふと思う。いつか彼が日本を訪れたとき、ちょうど杉田協士の映画が上映中であることを願っている。ためらわずに彼をミニシアターに連れて行きたい。