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2023.10.07

女性たちの抱える問題は、時代が新しくなっても、大きくは変わっていない。大学生のコラムに元キネ旬編集長が実感

ひとシネマには多くのZ世代のライターが映画コラムを寄稿しています。その生き生きした文章が多くの方々に好評を得ています。そんな皆さんの腕をもっともっと上げてもらうため、元キネマ旬報編集長の関口裕子さんが時に優しく、時に厳しくアドバイスをするコーナーです。

関口裕子

関口裕子

青山波月

青山波月

大学生のひとシネマライター青山波月さんが書いた映画コラムを読んで、元キネマ旬報編集長・関口裕子さんがこうアドバイスをしました(コラムはアドバイスの後にあります)。

もやもやさせたまま抱えていたものを、このコラムは着地させてくれた


#MeToo運動が起きたあと、「闘う」女性たちを描く作品を多く見かけると、青山波月さん。「ウーマン・トーキング 私たちの選択」もその系統の作品だといえると思うが、大きく異なるのは「『赦(ゆる)す』『闘う』という選択肢の他に『去る』という選択肢が加えられている点」だという。
 
幼児から初老の者まで村の多くの女性が被害者となったレイプ事件の対応策を、女性たち自身が討議し、結論を導き出すさまを描いた作品。事件の舞台は、非暴力と非近代化の生活を良しとするキリスト教系宗教コミュニティー「メノナイト」。そのため、女性たちは読み書きができず、討議してまとめた意見は、絵と記号で確認し合う。原作者のミリアム・トウズも、メノナイトで生まれ育った。
 
青山さんのコラムには、「暴力の放置」について気づかされること、考えさせられることが多かった。そのなかでひとつだけ、すんなりとは受け止めがたくもやもやしたのは、「全部が男性側だけのせいなのか」という部分だ。
 
ものごとを判断するとき、どちらかに偏ることなく、さまざまな視点から考えられるのが理想だ。たいていの場合は。
 
青山さんはこの部分を、「レイプ事件は犯人の男性たちが絶対的に悪いのは明らかなことだが、それを知りながら『赦す』という選択を取ってきた女性たちにも責任があったのではないかと、話し合いを通し村の女性たちは気付いていく」とストーリーとして紹介。「『赦して』きた女性たち」の責任にも言及した。
 
このもやもやについて考えた末、暴力、特にレイプという肉体だけでなく、相手の人格まで傷つける性犯罪においては、同様に判断してはいけないのではないか。そういう思いに至った。「男性側」という言葉を、「加害者側」に変えるとわかりやすい。
 
この映画で描かれる女性たちの「問題」は、宗教コミュニティーの話という設定を外しても違和感なく、私たちの身近に存在する。そう、女性たちの抱える問題は、特別な環境下でなくても、時代が新しくなっても、大きくは変わっていないということだ。
 
そして問題が起きた理由を、偏ることなく冷静に分析しようと考えられる被害者こそ、「自分にも非があったのではないか」と考えてしまう。そういう考えに導かせてしまうのは、生活環境の考え方やコミュニティー組織のあり方がずっと変わらないからなのだろう。
 
一度見たまま、いくつかの考えをそのままにしてしまった映画「ウーマン・トーキング」。もやもやさせたまま抱えていたものを、このコラムは着地させてくれた。見た映画について人と話すこと、人が書いたものを読むことの大切さを改めて実感する機会となった。

青山さんのコラム


人間としての尊厳を奪われる屈辱を受けた時、あなたは赦(ゆる)しますか? 闘いますか? それとも、そのコミュニティーを去りますか?

第95回アカデミー賞の脚色賞を受賞した話題の作品「ウーマン・トーキング 私たちの選択」。


〝実際の事件〟を基に

自給自足のキリスト教一派の小さな村。ここでは、レイプ事件が日常茶飯事で起きていながら、女性たちの主張は「悪魔の仕業」「作り話」と男性たちに否定されていた。しかし、ある日それが実際に犯罪だったと気づくよう、そして思えるようになる。男性たちが街へ出かけている2日間、村の女性たちは自分たちの未来をかけた話し合いを行う。

この作品は〝実際の事件〟を基にしたミリアム・トウズの小説が原作。そして、物語はまるで昔の話のように進行するが、〝2010年〟なのである。ほんの10年ちょっと前の話なのだ。これは架空の物語ではない。実際に私たちの日常に隣り合わせている現実が描き出されている。

必要のない警戒をしながら生活している

私は、自分が女であるというだけで、本来する必要のない警戒をしながら生活している。例えば、電車の中、夜道、カーテンの色。なんか、時々思いません? 「なんでこっちばかり警戒しなくちゃいけないんだろう?」。私たちは、普通の生活を普通に送る権利があり、「なんで女に生まれてきたんだろう」なんて思う必要はないのに。

この作品を鑑賞した時、作中の女性たちに感情移入してボロ泣きになっていたのは私だけではなかったし、思わず「ひどい・・・・・・」と声を出してつぶやいていた方もいた。会場にいたほとんどの人たちが人ごとではなく、〝自分事〟として見ていた。設定からして自分のリアルとはかけ離れた物語だと思っていたが、私が今まで見た映画の中で一番リアルに感じ、私たちにはどんな選択肢があるのか教えてくれる映画だった。

「赦す」「闘う」「去る」の選択肢

近年、#MeToo運動など、フェミニズムの活動を題材にした映画が多く上演されている。特に、社会における女性の立場の弱さに対し、「闘う」選択肢を取った女性たちが描かれていることが多い。しかし、この「ウーマン・トーキング」は、「赦す」「闘う」という選択肢の他に「去る」という 選択肢が加えられている点が、他の映画とは大きく違うと感じた。

最近ではインディーズ映画の監督もフェミニズムを題材にすることが多くなり、私もそういった作品を何度か見たことがある。物語や作風はそれぞれだが、中には「男はクソだ!」「暴力には暴力で返す」みたいな若干攻撃的な作品も見受けられた。私はそれを見て、言葉にしづらい複雑な感情を抱いた。確かに、男社会を憂えたり、どうしても覆せない男女の体格差のせいで嫌な思いをして「やり返したい!」と思ったこともある。だけど、全部が男性側だけのせいなのか、暴力に暴力で闘うことが正義なのか、そんな極端な話で社会は成り立っているのかずっと疑問に思っていた。

「ウーマン・トーキング」はそんな社会の折り合いをつけなければいけない部分も受け入れている映画だと感じた。レイプ事件は犯人の男性たちが絶対的に悪いのは明らかなことだが、それを知りながら「赦す」という選択を取ってきた女性たちにも責任があったのではないかと、話し合いを通し村の女性たちは気付いていく。それは、全然今の社会でも言えること。私自身、今の社会を憂える気持ちがありながら、半分諦めているようなところがある。そうやって私たちの世代が諦め続け、結局変わらないまま自分の大切な子供を同じ社会で生きさせることになる。こうやって見過ごし続ける(はたから見たら受容とも取れる)行動をとる私にとって、彼女たちの会話は心に刺さるものだった。

痛みの名残

そして私が、この映画の特に素晴らしいと思った点は、直接的な暴力シーンが描かれていないことだ。描かれているのは、残された女性たちの痛みの名残であること。ここが、いろいろな鑑賞者に配慮されている素晴らしい映画だと感じさせた。実際に痛みを経験した人に、改めてその痛みを思い出させる必要はないし、全員が全員立ち上がって闘えるわけではない。「逃げる」ではなく自らの意思で「去る」という選択肢が用意されているこの作品は、現実世界でつらい思いをしている人に「去ってもいいんだよ」と伝えるメッセージのようだ。

どっちが悪でどっちが正しいとか、やるかやられるかみたいな、世界はそんな極端で白黒しているわけじゃない。客観的に見て何が正しいとかは関係なく、自分と自分の大切な人を守るために彼女たちは何を選択するのか。

ラストの感じ方は人それぞれだが、新たな視点に導いてくれる映画「ウーマン・トーキング」。この映画は女性はもちろん、男性にも見てほしい。そしてぜひ男性側からの〝自分事〟としての感想が聞きたくなった。また、性別関わらず、私は同年代の子たちと一緒に見に行きたいと感じる。後の社会を作っていく私たちが、未来の世界に何を残していくべきなのかをこの映画を見て考えていきたい。
 

ライター
関口裕子

関口裕子

せきぐちゆうこ 東京学芸大学卒業。1987年株式会社寺島デザイン研究所入社。90年株式会社キネマ旬報社に入社。2000年に取締役編集長に就任。2007年米エンタテインメント業界紙VARIETYの日本版「バラエティ・ジャパン」編集長に。09年10月株式会社アヴァンティ・プラス設立。19年フリーに。

ライター
青山波月

青山波月

あおやま・ なつ 2001年9月4日埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒業。
埼玉県立芸術総合高等学校舞台芸術科を卒業後、大学で映画・演劇・舞踊などを通して心理に及ぼす芸術表現について学んだ。
高校3年〜大学1年の間、フジテレビ「ワイドナショー」に10代代表のコメンテーター「ワイドナティーン」として出演。
21年より22年までガールズユニット「Merci Merci」として活動。
好きな映画作品は「溺れるナイフ」(山戸結希監督)「春の雪』(行定勲監督)「トワイライト~初恋~」(キャサリン・ハードウィック監督)
特技は、韓国語、日本舞踊、17年間続けているクラシックバレエ。
趣味はゾンビ映画観賞、韓国ドラマ観賞。

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