「大きな玉ねぎの下で」

「大きな玉ねぎの下で」©2024 映画「大きな玉ねぎの下で」製作委員会

2025.2.28

お互いが書いた文章を見ながら心を開いていく「大きな玉ねぎの下で」を劇場で見る理由

国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。

筆者:

洪相鉉

洪相鉉

「会うべき人は、いつか必ず会えると聞きました」。ソウルの都心、今はどこにでもあるシネコンの支店に変わっているが、昔ソウル3大単館映画館のひとつだった「ソウルㆍピカデリー」前のカフェでのせりふ。

日本の観客にはNetflixの「キル・ボクスン」、あるいはカンヌ国際映画祭で主演女優賞に輝いた「シークレットㆍサンシャイン」の全道嬿(チョンㆍドヨン)が20代前半の若々しい姿で公衆電話でポケベルのメッセージを残す。テレビドラマ「浪漫ドクターキムㆍサブ」、映画「尚衣院 サンイウォン」の韓石圭(ハンㆍソッキュ)は、彼女の後ろでこのセンテンスが含まれたメッセージを開いていたが、なかなか近づいて声をかけることができずためらう。もうすぐサラ・ボーンの「ラヴァーズ・コンチェルト」とともにハッピーエンドが繰り広げられるにもかかわらず、やはりそれだけ緊張感のある場面。

それぞれ愛のすれ違いを経験している2人だったが、躊躇(ちゅうちょ)しているのには理由があった。それはお互いを知らず文字のみを通じて知りあっていること。これは映画のタイトルが「接続 ザ・コンタクト」であることとも関係している。同作で主人公カップルをつなぐ「愛のメッセンジャー」は、パソコン通信のチャットだ。対話型ではあるが、厳密に言えば電話や今のSNSを利用したコミュニケーションとは違うアナログ。実際にフィルムで撮影し、1990年代末のソウルの雰囲気をそのまま伝えているこの作品と実にマッチした組み合わせなのだ。その結果、同作は通貨危機という史上初の災難が韓国を襲った1997年、シネコンもなく入場券統合電算さえなかった時代に150万人の観客を動員して韓国の観客を慰めた。同作が全道嬿にとってテレビドラマ女優から映画女優に移るための成功への踏み台の役割を果たす。一方、韓石圭は韓国映画産業化の出発点と言われる出世作「シュリ」につながったのは言うまでもない。

〝文字コンテンツ強国〟日本に誕生した新作

しかし、こういう文字におけるコミュニケーションが日本に来れば、さらに深みを増す。出版市場の規模だけを比較しても、日本は2022年基準で1兆6305億円、韓国は4864億円で、人口規模を勘案しても非常に高い数値になっている。そして、この状況は文字に基づいたライフスタイルの形成にも多大な影響を及ぼす。ビジネスの場合を見ても欧米では一言二言程度のメールで済むのに対し、日本では用件だけ書いても了解を求める文章を加える。チャットを通じたコミュニケーションはどうだろうか。コロナ禍の当時、日本で数多くの新しい友人を作った筆者の経験では、話の内容が真実であれば相手もそれに応じる回答を送ってくれる。礼儀正しい日本人の特性にふさわしい繊細で優しいコミュニケーションである。

こうした文化的特性に商業映画の名家・東映が配給し、韓国でもリメークされた「ゴールデンスランバー」などを手掛けた宇田川寧、「SUPER HAPPY FOREVER」で世界舞台デビュー戦を成功させた江本優作といった重鎮と若手のプロデューサーが集まって企画が生まれたのがまず面白い。

ここに作品性と商品性、メッセージ性の三拍子のバランスを合わせて追求していく若き名匠・草野翔吾が合流した。そして、「文字ベースのロマンス」という恋愛映画の新しいジャンルを開く新作、「大きな玉ねぎの下で」が誕生した。実に「文字コンテンツ強国」でしか作れない映画である。

2人をつなぐのはバイトの連絡ノート

同作で主人公の丈流(神尾楓珠)と美優(桜田ひより)の2人をつなぐのは、バイト先の連絡用ノートだ。2人は偶然、それぞれの友達と一緒に行ったビアホールで出会う。しかし、照れ屋の男とストレートな性格の女はお互いに大きな好感を抱かなかった。しかし、彼らが文章を書く「ノート」は、互いの共通点を探し出す媒介として機能する。いろいろな内容を書いて議論をする2人は、お互いのきちょうめんさと誠実さ、そして無味乾燥な仕事関連のメモにとどまることもできたにもかかわらず、意外な機知に驚き、好感を覚えた。そして、このような愛の形はラジオ番組を通じて親世代3人のエピソードともつながっていく。30年という時差のある3人は、雑誌の「ペンフレンド欄」を通じた手紙のやり取りを通じて交流する。

21世紀の世代は「イメージを受けてイメージを出す」映像世代で、「文字を受けてイメージを出す」のが親世代と定義している。筆者の恩師・映画監督の李光模(イ・グァンモ)は、このような映像世代が新しい時代の文化を導いていくと確信していた。しかし、「大きな玉ねぎの下で」を見ながら筆者が改めて考えたのは、それも必ずしも正確な内容ではないということ。お互いの印象ではあまり特別な感情を感じられなかった丈流と美優は、ゆっくりと時間を置いてお互いが書いた文を見ながら心を開いていく。このような関係は、おそらくインスタなどSNSを通じた交流なら決して至っていないだろう。

映画館で楽しみたい音楽の饗宴、キャストの魅力

しかし、この映画を見るためにわざわざ劇場に行きお金を払う「魅力」が必要だ。ここで発揮されるのがミュージックビデオ、ライブの映像演出などにおいて才能を発揮し「音楽がきっかけで映画が好きになった」という草野監督の実力。彼は音楽に対する特有の感覚をOST(BGM)のバランスの取れた使用を通じて披露する。例えば、適材適所で挿入されるOST(BGM)は、映画への観客の没入を助けるが、過度に使うとかえって逆効果を生む。ここで必要なのが音楽に対する感覚だが、草野監督は天賦的と言える面がある。場面によってハートを引っ張ったりでたりするその音楽の饗宴は、映画館のスピーカーでしか楽しむことができない。

最後に加えるのがキャストの魅力だ。草野監督の映画に出演する度に俳優として最高の姿を見せている神尾楓珠、荒っぽく見えるが時には可愛く、時には愛らしい予測不可能な立体的なヒロインを演じている桜田ひより。主演2人の熱演は爆笑や極端な興奮よりも心に深い響きを残しながら、ほほ笑みを浮かべさせる。また、登場するたびに笑わせる昭和組の窪塚愛流、令和組の中川大輔の喜劇的な演技はしばらくの間、顔を緩め、緊張をほぐす余裕も与えない。映画館から出てくる瞬間には、索漠で厳酷に見えるこの世の中だが、少しは豊かになったと感じる自分を見つけるだろう。恥ずかしくて表現できないだけで、本音は優しいみんなの気持ちがもっと分かるようになっているはずだから。

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