第96回アカデミー賞授賞式は、3月10日。コロナ禍の影響に加え大規模ストライキにも直撃されながら、2023年は多彩な話題作、意外な問題作が賞レースを賑わせている。さて、オスカー像は誰の手に――。
第96回アカデミー賞
第96回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した「ゴジラ-1.0」の山崎貴監督らが帰国、12日に羽田空港で記者会見を開いた。山崎監督は「視覚効果賞はハリウッドの〝聖域〟。ポンコツチームの頑張りを面白がってくれた」と〝勝因〟を分析した。 シュワルツェネッガーからもらいたかったけど 山崎監督と視覚効果に携わった映像制作会社「白組」の渋谷紀世子、高橋正紀、野島達司がオスカー像を手に登壇した。受賞の瞬間を山崎監督は「オスカー像は想像を超える重さだった。うれしかった」と振り返ったが、オスカー像を手渡されたのがダニー・デビートだったことに「本当は(もう一人のプレゼンターだった)シュワルツェネッガーから……」。 授賞式に向けて現地で繰り返し上映会などを行い、働きかけてきたが、手応えを感じていたという。渋谷は「反応がとても良く、受賞は五分五分と思っていた。受賞すると言い続けていたが、名前を呼ばれた瞬間は驚いて舞い上がった」と明かした。 「ゴジラ-1.0」は昨年12月に全米で公開されヒットした。受賞の影響について山崎監督は、「日本映画が北米で興行的に成功し、受賞もしたことで今後の映画の作り方が変わる可能性がある」。野球の野茂英雄投手の後に大リーグに挑戦する選手が続いたことを挙げ「これをきっかけにワールドワイドな作品を目指せるようになったらいい」と期待を込めた。 世界的大スターのおかげ アカデミー賞各部門の中で、視覚効果賞のほとんどはハリウッドの大作が受賞してきた。「ゴジラ-1.0」はその中では低予算作品。山崎監督は「視覚効果賞は多額の予算をかけ工夫を凝らした中からベストが選ばれる聖域。我々には挑戦権すらなかったが、門を開いてくれたことがうれしい」と喜んだ。 受賞の要因について渋谷は、「VFX(視覚効果)の初期に、知恵を絞ってもがいた頃を思い出したと言われた。温かい気持ちで見守ってくれたのでは」と推測。野島は「物語もよく、全てのピースがうまくはまった」、高橋も「候補作はすごい技術を使っていると思ったが、ゴジラの完成度も高いと改めて思った」と振り返った。 山崎監督は「少人数の低予算作品で、特異なケース。視覚効果が物語にいかに貢献したかを重視するので、ゴジラが作り出した恐怖感、絶望感が伝わった」と分析した。そして「ゴジラのおかげ」。現地での上映でも歓迎され「想像以上にワールドワイドの大スターだった」。 生意気な中学生の炎燃やし続け 一方で他の候補作との比較では「まだまだ。比べれば心がズタズタになる。オリンピックに来てしまったポンコツチームが面白ビデオを見せたという感じを、面白がってくれたのでは。コンピューターグラフィックスが使えなかった時代にいろんなことをやった人たちの琴線に触れたのかな」。 山崎監督は中学生の時に「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」を見て映画に魅了された。「生意気な中学生だった自分にオスカーをとったと言っても『アタマのおかしいおじさんがいる』と相手にされなかったのでは。しかし、あの頃見たかったものにどれだけ近づけるか、胸の炎を消さないようにと今まで来ている。生意気な中学生だった自分に感謝したい」としみじみ。「ここを到達点ではなく出発点として、挑戦を続けたい」と宣言した。
ひとシネマ編集部
2024.3.12
10日(日本時間11日)に授賞式が行われた第96回アカデミー賞で、日本映画「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞、「君たちはどう生きるか」が長編アニメーション映画賞を受賞した。2作とも、それぞれに「日本的」な映画作りを追求し、物量に勝るハリウッドの牙城を崩し、快挙を呼び込んだ。 「ゴジラ-1.0」©2023 TOHO CO.,LTD. 「低予算」日本映画が超大作しのぐ迫力 日本映画の視覚効果賞は初めて。コンピューターグラフィックス(CG)が主体の視覚効果は資金と手間をかけるほど精密になる。近年はハリウッドのスタジオが世界市場に向けた超大作に巨額の製作費を投じる傾向が強まり、アカデミー賞でも独壇場。日本映画にとってもっとも入り込む余地のない分野だった。 「ゴジラ-1.0」の製作費は15億円程度と見られ、ハリウッドからすれば超低予算。今回の他の候補作も、「ミッション:インポッシブル デッドレコニングPART ONE」「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」「ナポレオン」と、巨額の製作費を投じたハリウッド大作が並んだ。〝低予算で大ヒット〟とされた「ザ・クリエイター/創造者」ですら、「ゴジラ-1.0』の10倍近い8000万ドルと言われる。 日本の特撮は、俳優が着ぐるみに入ったりミニチュアのセットで撮影したりと、限られた製作費の中で工夫を凝らし、独自の発展を遂げてきた。しかし近年は、日本でもデジタル技術が向上し、特撮の味わいとCGとの融合が進む。その先頭にいるのが山崎監督と白組だ。 「ゴジラ-1.0」について語る山崎貴監督=2023年11月、手塚耕一郎撮影 「ゴジラ」熱望山崎監督 技術と経験蓄積 山崎貴監督は白組でCG制作を手がけた後、「ジュブナイル」(2000年)で監督デビュー。ゴジラ映画の監督を熱望する一方で「満足のいく技術で」と時機を待っていた「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズで昭和の東京を再現し、「続・三丁目の夕日」の冒頭には短い時間でもゴジラを登場させた。第二次世界大戦を題材とした「永遠の0」(13年)で航空機、「アルキメデスの大戦」(19年)では海上の軍艦を映像化。1作ごとにCG技術を開発してきた。 第1作が作られてから70年の記念作品となった「ゴジラ-1.0」で、「満を持して」登板。約20年の間に蓄積した技術と経験を駆使し、ゴジラや海の波の形態、軍艦や戦闘機の動きをリアルに表現し、集大成ともいえる作品となった。 映画の特殊効果は19世紀末の映画草創期から取り入れられ、技術の進歩とともに発展してきた。豊富な物量で最先端を切り開いてきたのがハリウッド映画だ。21世紀に入り、高度なデジタル技術と豊富な資金力で他を寄せ付けなかった。一方で、〝何でもあり〟の映像が肥大化し、物語が大味になった傾向も否めない。「ゴジラ-1.0」は敗戦後の日本で、帰還兵が強大な敵に打ち勝って自信を回復する、力強い人間ドラマともなっている。 米国での公開で日本映画として記録的なヒットとなったのも、そうした感動的なドラマの要素も要因に挙げられる。今回の受賞は、数百億円をかけた大作に負けない迫力の映像を独自に作り出したことへの、米国の驚きと称賛の証しだろう。 「君たちはどう生きるか」©︎2023 Studio Ghibli 手描きアニメで独自の境地 「君たちはどう生きるか」も、日本的な作品だった。宮崎監督が13年の引退宣言を撤回し、約7年をかけて製作した、自伝的要素を込めたファンタジー。異世界に迷い込んだ子供の奇想天外な冒険というこれまでの宮崎アニメの骨格を踏襲しながら、時に不可解。分かりやすさを優先するハリウッド作品とは異なり、難解とも評された。ところが昨年12月、米国で公開されると週末興行成績で1位になるなどヒットする。 今回の長編アニメ映画賞候補は「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」「マイ・エレメント」など、CGを多用し新たな映像表現に挑んだハリウッド作品が並んでいた。その中で「君たちはどう生きるか」は、宮崎監督が従来通り手描きの線と絵にこだわって、ディズニーに始まる米国アニメを原点とした伝統的な手作りアニメの表現を極めた作品だ。 鈴木敏夫プロデューサーは「米国で聖書の物語を題材とした多くの大作が作られてきた影響があるのではないか。『君たちはどう生きるか』は米国の影響を色濃く受けていると思う」と推測した。またアオサギから人間が出てくる表現など「手描きでしかできない面白さ」も指摘した。80歳を超えてなお創作意欲が衰えず、新たな表現に挑み続ける宮崎監督ならではのオスカー受賞だが、日本アニメにとってもさらなる可能性を示したといえそうだ。 【第96回アカデミー賞関連記事】 授賞結果一覧 「ゴジラ-1.0」「君たちはどう生きるか」日本映画2作品にオスカー像 「うれしい。オスカー像追加注文しました」 鈴木敏夫プロデューサー喜びの声
勝田友巳
2024.3.11
第96回アカデミー賞で長編アニメーション映画賞を受賞した「君たちはどう生きるか」(宮崎駿監督)。結果発表直後に、製作したスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが東京都小金井市内のスタジオで記者会見。「心の底からうれしい。それ以上、言いようがありません」と喜んだ。 宮崎監督は授賞式に参加せず、スタジオでは関係者らが中継番組を見ながら結果を待った。プレゼンターのアニャ・テイラージョイが「The Boy and the Heron(君たちはどう生きるか)」と発表すると、歓声と拍手が起こった。 「うれしい顔は見せない」宮崎監督 鈴木プロデューサーはオスカー像について、「実はお金を出して注文すれば何個ももらえるのです。さっき、追加注文しました」。会見場に現れるや、集まった多くの報道陣の前で上機嫌に披露。三つのオスカー像は、宮崎監督と自身に一つずつ、もう一つは回覧用という。 近くのアトリエで待機していた宮崎監督とは、電話で話したという。「発表前、宮崎監督は『日本男児としてうれしい顔は見せてはいけない』『おれは(結果を)気にしていない』と言いながら、興奮する気持ちを抑えていたようだった。発表後、電話口では、本当に普通に『よかったです』と話していた。僕が『おめでとうございます』と伝えると、『お互い様です』と」 〝勝因〟を問われ「ただただ、(投票してくれた)映画芸術科学アカデミー協会員に感謝するのみ」とした上で、「今作は、ある種、宮崎駿の旧約聖書の黙示録。だから、実は日本のお客さんよりも、アメリカの方が受け入れられやすいように思っていた」と述べた。かつて米国では、「十戒」や「ベン・ハー」「天地創造」など、聖書をもとにした映画がたくさん作られた。「超大作というと聖書をもとにしていた。その影響は宮崎監督にもあるのではないか。今作は、一番アメリカの影響を色濃く受けた作品だと、僕は思っています」 「作りたいものを作る、1回ぐらいは」 「君たちはどう生きるか」は、2013年に1度、「引退宣言」をした宮崎監督にとって約10年ぶりの大作。「『二度と作らない』と大々的に記者会見をしたことを、宮崎監督はすごく反省していた。(新作を)作りたがっているのは、何となく分かっていたが、知らん顔をしていると、『みっともないのは分かっているけれど、もう1本作りたい』と言ってきた」と明かした。 「いつも、『これが最後だという気持ち』で作っている。今作の製作期間の7年の間にいろいろなことが起きた。果たして、ちゃんと見てもらえるのだろか、受け入れられるのだろうかと、宮崎監督は映画興行が始まる前に、ものすごく気にしていた。生涯、娯楽映画作家であることを貫きたいから、お客さんが来なくなったら引っ込むべきだと、考えていたのではないか」 公開前の宣伝を一切行わないことでも注目された。「今作で宮崎監督はずっとがんばってくれた。だから、最後ぐらいストレスから解放して、静かに興行するのが理想だった。大宣伝を打つ環境に監督を置きたくなかった」。もっとも「一番心配したのは宮崎監督本人」という。「『宣伝しないの』と聞いてきた。でも、自分たちが作りたいものを作ることを、1回ぐらいやってもバチがあたらないじゃないかと考えた」 「今後は短編を」 現在、宮崎監督はジブリ美術館やジブリパークのために、過去作の世界観を凝縮させた「パノラマボックス」を描く作業に取りかかっているという。アカデミー賞受賞を受け、次回作への期待も高まるが、「白紙」状態だという。 「まだ日本でも上映が続いているし、アメリカでも受賞をきっかけに公開館数も増える。中国公開も残っている。それらの興行が終わるまでは、次に行くことは難しい。抱えていることがすべて、頭の中で空っぽになるまで時間がかかるような気がする。その上で、もう1本作りたいということになれば、次の作品にとりかかることになる」 「今作は、準備を含めたら10年近くかかっている。宮崎も僕も疲れたし、かかわったスタッフも疲労が残っている。それをとるのにもう少し時間がかかる」とも述べた。ただ宮崎監督は「いやになっちゃうぐらい元気」だという。「僕の本心を言うと、もう一度、長編映画を作るのは簡単ではない。短編アニメを作ってほしいと本人には話している」 ところで、今回のアカデミー賞では、事前に配信されたライブストリームに登場した宮崎監督に、トレードマークのひげがないことが話題になった。「僕が『気分転換に切ったらどうか』と言った。本人は嫌がっていたが、押さえつけてそっちゃいました」と冗談めかして。「ひげがあると立派そうに見える。それを取っ払うところからスタートすると。本人はそった後は、やたらと鏡を気にするようになりました」
広瀬登
第96回アカデミー賞の授賞式が10日(日本時間11日)、米ロサンゼルスで行われ、「君たちはどう生きるか」(宮崎駿監督)が長編アニメーション映画賞、「ゴジラ-1.0」(山崎貴監督)が視覚効果賞を受賞した。日本映画の長編アニメ賞受賞は2003年、宮崎監督の「千と千尋の神隠し」以来2度目。視覚効果賞は初めて。原爆開発者のロバート・オッペンハイマーの伝記映画「オッペンハイマー」は、作品賞、クリストファー・ノーラン監督の監督賞など7部門で受賞した。国際長編映画賞は、英国の「関心領域」で、候補入りしていた日本映画「PERFECT DAYS」は受賞を逃した。 視覚効果賞でオスカー像を受け取った山崎監督は「『スター・ウォーズ』などに影響を受けて映画を作ってきた。ハリウッドの外で頑張っている作り手にもチャンスがあるという証し」と英語でスピーチした。「君たちは」の宮崎監督らは現地入りしておらず、受賞スピーチはなかった。映画を製作した「スタジオジブリ」の鈴木敏夫プロデューサーは東京都小金井市の同社スタジオで記者会見し「心の底からうれしい」と喜んだ。宮崎監督は「本当に普通に『よかったです』と話していた」という。 「君たちは」は、戦争中に疎開した少年が死んだ母親と再会するため、不思議なアオサギに導かれて異世界に迷い込むファンタジー。宮崎監督は13年に引退を宣言。しかしその後、事実上引退を撤回し「君たちは」の製作に着手した。 「ゴジラ-1.0」は第二次世界大戦後の日本にゴジラが現れるSF映画。映像制作会社「白組」が視覚効果を担当。コンピューターグラフィックス(CG)により、海中から現れたゴジラが軍艦を破壊するなど迫力ある場面を作った。 映画の視覚効果は豊富な資金力と技術力が必要で、ハリウッドの独壇場。視覚効果賞は、ハリウッド大作がほぼ独占してきた。今回の候補作も巨額の製作費を投じたハリウッド作品が並んでいた。
アカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネート。昨年5月のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したほか、英国アカデミー賞英国作品、非英語作品賞、ロサンゼルス映画批評家協会作品賞、トロント映画批評家協会作品賞など各国で高い評価を受けている。アウシュビッツ強制収容所と壁を隔てた邸宅に住む収容所所長 ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘス 一家の平和な日常生活を描いた。イギリスの作家マーティン・エイミスの小説が原作で「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザーが脚本、監督した。 収容所の隣に住む所長一家の穏やかな日常 映画は、真っ黒な画面にキーキーという金属的な不協和音が鳴り響いて始まる。居心地の悪い、人を不安にさせるような音といっていいだろう。いったい何が始まるのかと思っていると画面は一転。空は青く、緑豊かな美しい湖畔にピクニックにでも来たような家族を映し出す。色調もいたって明るく、子供たちの声になごやかな雰囲気が感じられる。 その後もヘス一家の日常を淡々と描写していく。家のリビングでの会話や庭の手入れ、パーティー、ヘスの出張や引っ越し。どこにでもある穏やかで裕福な家庭である。ただ、一人一人のズームアップはほとんどない。引きの映像ばかりで、俳優の細かな表情や演技を見せようとはしない。芝居やセリフからエモーショナルな部分がほとんど感じられないのである。 ヘス役にはミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン」(2009年)、「ヒトラー暗殺、13分の誤算」(15年、オリバー・ヒルシュビーゲル監督)のクリスティアン・フリーデル、その妻へートビヒ役を「ありがとう、トニ・エルドマン」(16年、マーレン・アデ監督)、現在公開中「落下の解剖学」(23年、ジュスティーヌ・トリエ監督)でアカデミー賞主演女優賞にもノミネートされている注目のドイツ人女優、ザンドラ・ヒュラー。著名俳優を並べて、アップを撮らない。 遠くの煙突と煙、遠くに響く銃声 一家の隣にある収容所の存在は、そこはかとなく示されるだけだ。遠景として見える煙突とそこから吐き出される黒い煙、時折遠くから響く銃声や、不気味な叫び声。おしゃべりの中に出てくる祖母のユダヤ人のお手伝い。終盤に映像のトーンが一転し、アウシュビッツの博物館の展示やそこで働く人の映像に切り替わる。最後はまたしても不快に感じられる音で終わる。 収容所の周囲40平方キロメートル 撮影は最大10台の固定カメラを使い、セット内の異なる部屋でのシーンを同時に撮るという独特の手法を用い、俳優はセットを自由に動くことができたという。また、作品全編において撮影用の照明を使っておらず、自然光と通常の室内の照明のみで撮っている。そのため、夜の野外での撮影にはサーモグラフィーカメラを使用した。 タイトルは、ポーランドのオシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所を取り囲む40平方キロメートルを、ナチス親衛隊が「関心領域(The Zone of Interest)」と表現したことからつけられたという。ちなみに、この作品のポスターやチラシのデザインの下部分には庭園で楽しむ人々が描かれ、半分以上を占める上部は青空でも風景でもなくただ真っ黒に塗りつぶされていて、その異様さを十分に伝えている。 見たいものだけを見る罪悪 収容所内部で行われていたことと、壁一つ隔てた向こうの幸福な日常。映画は片方を徹底的に見せ、もう片方をほとんど見せない。それゆえ観客は、映画が意図的に見せないものを、かえって想像し、直視する。そして自分たちの〝関心領域〟だけにとどまるヘス一家の姿に、悪を許容し共犯関係になることがいかに簡単かを体感する。強烈なメッセージに、思考の深淵をさまようことになる。映画が示すのも、人類史で最悪と言われる行為の一断面なのだ。 これほど恐怖をかきたてる作品もまれだろう。ただ、80年前の物語とは言っていられない。見たいものだけを見る傾向は、SNSが浸透する現在ではなおさら顕著だ。誰もが否定する歴史の闇を衝撃的な手法で見せることで、現代への強烈な警告にもなっている。 ★注:副総統を務めたルドルフ・バルター・リヒャルト・ヘス と収容所所長の ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘスは別人物です。
鈴木隆
2024.3.09
突然だが、私は「待ち合わせ」が好きだ。時計が壊れてしまったのではないかと思うほど1秒を長くも短くも感じる不思議な感覚。実際に相手の顔を見たときの、喜びと緊張が入り交じる瞬間のいとおしさ。どんな表情や第一声がふさわしいのかを探り合う、あのくすぐったい空気感。待ち合わせという行為が持つときめきは、初対面、再会、リアル、オンラインに関係なく、私にはとても特別なものだ。 海外移住によって離れ離れ そんな胸のざわめきを、映画を通して何度も味わわせてくれた「パスト ライブス/再会」。 ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱きながらもノラの海外移住によって離れ離れになる。12年後にオンラインで再会した24歳の2人は、ソウルとニューヨークに暮らしながら海を超えて互いを思いあうが、生活や気持ちのすれ違いから疎遠になってしまう。しかしその更に12年後、36歳となった2人はニューヨークの地で再会し、互いの気持ちを確かめることになる。ノラの結婚相手アーサーの複雑な思いも交差するこの再会で、果たしてどんな運命が選ばれるのか。 「縁」の意味をじっくりと考えさせられる 2人の関係を12歳、24歳、36歳と12年ごとの3部構成で描いたこの作品は、それぞれの年代における恋愛の特徴のようなものが濃く映し出されていた。12歳の2人からは、人を好きになることの純粋な部分だけを抽出したシーンに、あどけなさと懐かしさを感じる。それぞれの場所で夢や目標を追いかけるなかで再会した24歳の2人からは、恋の熱量が特に伝わってきた。27歳の私にはとてもリアリティーがあり、恋愛や夢、人生設計、全てのバランスをとることの難しさに痛いほど共感した。そして、メインパートとなる36歳のノラとヘソン、そしてノラの夫アーサー。3人の表情や言葉からは恋愛を超えた部分、この物語のキーワードでもある「縁」の意味をじっくりと考えさせられる。 再会のシーンは、尺をたっぷり この映画は3部構成のみならず、時間の見せ方にかなりのこだわりを感じた。未来、現在、過去、そして前世。大きな枠組みの時間軸と、一瞬一瞬の切り取り方のバランス感に特徴がある。例えば、2人が離れていた二十数年という長い期間をほぼ描かないのに対して、連絡や交流をしている期間はしっかりと見せる。この手法が、再会がもたらした喜びと期待感が2人の人生にとってどれだけ濃密なものであるかを感じさせる。その中でも、冒頭で書いた「待ち合わせ」、すなわち再会のシーンは、尺をたっぷりと使い特段丁寧に描かれていた。24歳のオンラインでの再会と36歳のニューヨークでの再会。目線や細かい表情、会話の間や沈黙がとてもリアルで、こちらまでもが緊張で息苦しくなるほどだった。極めつきはクライマックスからラストにかけて。1秒が永遠にも一瞬にも感じるドラマチックで張り詰めた空気を、あんなにも美しく表現されたらもうお手上げだ。きっと多くの人の記憶に残るシーンとなるだろう。 2人の女性が歩んだ人生 本作が監督デビューとなる劇作家セリーヌ・ソンは、12歳でソウルからカナダへ移住した自身の経験からこのオリジナル脚本を執筆したという。ソウルからニューヨークへ移住したノラをはじめ、他の登場人物もセリーヌ監督を取り巻く人間関係を基にしている。ノラを演じたグレタ・リーも韓国系移民2世としてアメリカで生まれ育った。移民家族として社会にもまれた彼女の経験がキャラクターに投影され、ノラのせりふや行動の説得力を増している。全体を通して感じた自然な雰囲気の理由のひとつが、この2人の女性が歩んだ人生にあった。そしてノラを取り巻く2人の男性、ヘソンとアーサー。彼らの視点からみても、語るべきことが多すぎる作品だ。 それもまた運命 過去に選択された全てのことが今につながっている。もしもひとつでもズレていたら、出会えなかったかもしれない。今世で結ばれても結ばれなくても、それもまた運命。手繰り寄せるか、身を任せるか。アメリカと韓国を舞台に描かれる「縁」の物語はロマンチックでまぶしく、とても切ないものだった。 美しい記憶を抱きしめる 上質な大人のラブストーリーと評されるこの一作。大人の恋愛といえば、禁断の恋をテーマにしたドロドロしたものをイメージしてしまいがちだった私の認識を、奇麗に塗り替えてくれた。触れたいのに触れられないもどかしさを感じながらも、大切だから壊さないように美しい記憶を抱きしめる。感情を押し付けるのではなく、相手の気持ちを最大限に尊重する。それこそが大人の恋愛であり、人を愛するということの本質なのだと、未熟な私に教えてくれた。 第96回アカデミー賞、作品賞と脚本賞の主要2部門でのノミネートも納得の大注目作品である。 3月10日特別先行上映、4月5日公開。
波多野菜央
2024.3.08
第96回アカデミー賞は10日(日本時間11日)、ロサンゼルス・ドルビーシアターで授賞式が行われる。2023年は俳優と脚本家のストライキの影響で、製作、公開日程が狂い、候補に並んだ作品は例年以上に多彩、多様。日本映画も3部門で候補入りした。さて賞の行方は――。 スト余波でアート色強く 日本関連が存在感 賞レースの中心は作品、監督、俳優の3賞など最多13部門で候補入りした「オッペンハイマー」だろう。ゴールデングローブ賞ではドラマ部門の作品賞など5冠と前哨戦でもリード。クリストファー・ノーラン監督は「インセプション」「ダンケルク」など何度も候補になりながら、作品賞や監督賞は逃してきた。栄冠をつかめるか。 23年は、5月から脚本家組合が、7月から俳優組合がストライキに突入。俳優組合が11月に妥結するまで製作が滞り、ハリウッド作品は品薄だ。例年に増して、欧州映画祭に出品されたアート色の強い作品が目立つ。 作品賞など11部門で候補入りの「哀れなるものたち」は、ベネチア国際映画祭で金獅子賞。ゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディー部門で作品賞などを制した。ギリシア出身のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンは前作「女王陛下のお気に入り」でも組んだ強力コンビ。監督賞、主演女優賞でもノミネートされている。 作品賞、監督賞、主演女優賞など計5部門で候補入りした「落下の解剖学」は、フランス映画。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した。これに次ぐグランプリを受賞したのが、英国映画「関心領域」だ。こちらも作品賞など5部門でノミネート。作品賞、脚本賞候補の「パスト ライブス/再会」も同じカンヌのコンペ出品作品と、作品賞レースはまるでカンヌの〝再戦〟の様相だ。 アカデミー賞はもはや動画配信サービスなしに語れない。作品賞だけでもネットフリックスの「マエストロ:その音楽と愛と」、アップルの「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」と力作が並ぶ。 日本映画も3部門で候補に 米国では「オッペンハイマー」と同日公開された「バービー」は、興行収入では圧勝しながら賞レースではもう一息。作品賞、助演男女優賞など7部門で候補入りしたものの、グレタ・ガーウィグ監督、主演のマーゴット・ロビーは候補から漏れた。1970年代の米国が舞台の「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」、風刺コメディーの「アメリカン・フィクション」は共に、地味な内容ながら作品賞など5部門で候補となっている。 俳優賞候補20人のうち、オスカー受賞経験者は3人だけ。主演女優賞では米先住民のリリー・グラッドストーン、ドイツのザンドラ・ヒュラーが候補入りし、注目だ。 今回は日本関連も存在感を示す。長編アニメーション映画賞で「君たちはどう生きるか」が受賞すれば、宮崎駿監督は03年「千と千尋の神隠し」に続いて2度目の快挙だ。国際長編映画賞にはビム・ベンダース監督の「PERFECT DAYS」が候補入り。ドイツの巨匠が日本で撮影した日本映画。 視覚効果賞では「ゴジラ-1.0」が候補入り。「ナポレオン」や「ミッション:インポッシブル」など大作と並んだのは、日本の技術がひけをとらないレベルに達した証しだろう。山崎貴監督らはハリウッド入りして作品をプッシュ。オスカー像を手にした受賞スピーチの晴れ姿、期待したい。
2024.3.07
2023年の第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたジュスティーヌ・トリエ監督のフランス映画「落下の解剖学」(2023年)は、グルノーブルの雪深き山荘で起こった中年男性の不審死事件をめぐるミステリードラマだ。映画の大半を法廷シーンが占める本作は、リーガルサスペンスの本場たるアメリカでも絶賛を博し、ゴールデングローブ賞で外国語映画賞と脚本賞をダブル受賞、アカデミー賞でも5部門にノミネートされた。 法廷で審理されるのは、死亡男性サミュエルの妻であるベストセラー作家サンドラの殺人容疑だ。真っ向から主張が対立する検察側と弁護側の熾烈(しれつ)な論戦は、事件の事実関係のみならず、サンドラとサミュエルの確執やサンドラの性遍歴にまでおよび、人間という存在そのものが裁かれていくような様相を呈していく。そんな本作の多層的な面白さを〝解剖〟していこう。 論点① 人里離れた山荘で何が起こったのか? 不審死事件の現場となったのは、人気作家のサンドラ、その夫で教師のサミュエル、視覚障害を持つ11歳の息子ダニエル、彼の愛犬スヌープが暮らす山荘。とある凍(い)てつく白昼、自宅前の雪原でサミュエルが血を流して倒れているのを、散歩から帰ってきたダニエルが発見する。検視で判明した死因は頭部の外傷。捜査の結果、サンドラが殺人罪で起訴された。 法廷で検事はサミュエルがサンドラに殴打され、3階のバルコニーから突き落とされたと主張する。一方、サンドラの弁護士バンサンは、屋根裏部屋の窓から身投げしたサミュエルが、物置に頭をぶつけて致命傷を負ったという自殺説を唱える。法廷には山荘の模型が持ち出され、CGによるシミュレーション、屋根裏部屋から等身大の人形を落下させた検証映像などが次々と映し出される。 この両陣営のやりとりが、実に具体的でサスペンスフルだ。そもそも事件発生時、サミュエルのほかに自宅にいたのはサンドラだけ。一見、このうえなくシンプルな状況だが、目撃者が存在せず、3カ所にこびりついた血痕以外にこれといった物証もないため、裁判の行方は混沌(こんとん)としていく。この手のミステリー映画では、黒澤明監督の「羅生門」(1950年)を嚆矢(こうし)とする〝やぶの中〟方式(複数の目撃者の視点を映像化し、それらの証言が食い違っていく物語の形式)がしばしば採用されるが、本作では検察側と弁護側それぞれの〝仮説〟が提示され、観客は陪審員や傍聴人になった気分で謎のベールに覆われた真実に思いをはせることになる。 加えて、日本やアメリカのそれとは異なるフランス流の裁判の進め方も興味をかき立てる。いかにもやる気満々の若き検事は、前のめりの攻撃的な口調で被告サンドラの罪を厳しく追及。対するバンサンは、かつてサンドラと親密な関係にあったことをうかがわせる優男風の弁護士だ。両者がそれぞれの主張をしている最中、互いに割り込んで異議を述べたり、女性裁判長があからさまにギョッとするようなリアクションを見せたりする描写の生々しさに目を奪われる。 論点②人気作家とその夫の間に何があったのか? 映画の後半に当たるこのパートは、いくつかのポイントをおおまかに書くにとどめておこう。まず検察が重要証拠として提出したのは、サミュエルのUSBメモリーから見つかった音声データ。そこには事件の前日、彼とサンドラの間に勃発した口論の一部始終が記録されている。当初はよくある夫婦間のいさかいと思われた2人のやりとりは、やがて尋常ならざる激しいいがみ合いへと発展していく。その10分以上にわたるシークエンスのまれに見る迫真性たるや、ノア・バームバック監督作品「マリッジ・ストーリー」(2019年)の描写に匹敵する。 続いて検察はサミュエルが精神科医のもとに通っていたことを前提に、サンドラの性的指向や性遍歴、ダニエルが視覚障害を負った7年前の事故について言及。さらにはベストセラー作家として成功したサンドラと、作家をめざしながらも長編小説が書けなかったサミュエルの間に渦巻いていた嫉妬や劣等感などの微妙な心理があぶり出されていく。おまけにこの夫婦は、自分たちの私生活を小説執筆という創作/虚構の題材にしていた。このことも夫婦間に錯綜(さくそう)する虚実の区別をいっそう曖昧にする。 このパートにおける検察側の主張は、サンドラにとって不利に働く要素を都合よく切り取った〝状況証拠〟である。しかしサンドラの弁護士バンサンが「問題は事実ではない。(サンドラが)人の目にどう映るかだ」と語るように、えてして物事の真偽は〝客観的な事実〟より〝主観的な思い込み〟によって決定づけられる。まさしく私たち観客も、見方ひとつでがらりと変わる〝真実〟なるものを、見極める目を試されることになる。 上記のふたつの論点では触れなかったが、本作にはもうひとりの主人公というくらい重要なキャラクターが登場する。夫婦の息子ダニエルだ。死体の発見者でもあるダニエルは、母親による父親殺しの疑いをめぐる裁判の行方を傍聴席で見つめ、自らも証人として法廷に立つ。トリエ監督はあまりにも過酷な現実に直面する多感な11歳の視点を、法廷内外で積極的に取り入れ、映画に繊細なスリルと情感を吹き込んだ。 また本作は、昨年のカンヌにて最も優秀な演技を見せた犬に与えられるパルムドッグ賞を受賞した。劇中にはボーダーコリー犬スヌープの視点も盛り込まれており、この物言わぬ犬が終盤に披露するあっと驚く熱演には誰もが言葉を失うだろう。 かくして不審死事件における〝落下〟という現象を、崩れ落ちていく人間関係のメタファーのように表現した本作は、2時間32分の長尺ながらダレ場は一切なし。破格の傑作ミステリーを、ぜひご覧あれ。 「落下の解剖学」は全国公開中。
高橋諭治
2024.2.25
第96回アカデミー賞の各賞候補作品を発表し、長編アニメーション賞部門に宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」が選ばれた。作品賞部門には、原爆開発者の葛藤を描いた「オッペンハイマー」(クリストファー・ノーラン監督)がノミネートされた。国際長編映画賞部門に役所広司主演の「PERFECT DAYS」、視覚効果賞部門には山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」がそれぞれ入った。 発表・授賞式は3月10日(日本時間11日)にロサンゼルスで行われる。
2024.2.16