第二次世界大戦中の最後の官選沖縄知事・島田叡、警察部長・荒井退造を主人公とした「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が公開される(シネスイッチ銀座公開中、8月5日より栃木、兵庫、沖縄、他全国順次公開)。終戦から77年、沖縄返還から50年。日本の戦争体験者が減りつつある一方で、ウクライナでの戦争は毎日のように報じられている。島田が残した「生きろ」のメッセージは、今どう受け止められるのか。「島守の塔」を通して、ひとシネマ流に戦争を考える。
2022.8.03
映画「島守の塔」いよいよ8月5日栃木、兵庫、沖縄各県公開
現在、東京・シネスイッチ銀座で公開中の「島守の塔」が明日8月5日(金)、ゆかりのある栃木、兵庫、沖縄の各県で公開されます。
日本映画史でもまれなこと
この映画は戦中の沖縄県警察部長・荒井退造のふるさと栃木県の下野新聞社が起案し、その呼びかけに最後の官選沖縄県知事・島田叡のふるさと兵庫県・神戸新聞社、物語の舞台である沖縄タイムス社・琉球新報社の地方紙4社が賛同して映画製作の母体を発足させました。
柏田道夫さんの脚本をもとに、4社はそれぞれの立場で意見を交わし、監督の五十嵐匠さんが手を加え改稿を重ねていきました。
大和と沖縄がともに練りに練った脚本となりました。
これは日本映画史でもまれなことではないでしょうか。
ちょうどそのころ、毎日新聞社にも製作参加の声がかかり、平和への思いを同じくする仲間に加わることとなりました。
また、多数の映画製作に携わってきた本社としては映画業界と新聞業界をつなぐ役割ができればとポニーキャニオンエンタープライズとの共同配給を行うこととなりました。
同じスタッフ・キャストで必ず撮影を再開する
2020年3月満を持していよいよクランクインしましたが、時は未知のコロナウイルスが広がり始めたころ。
4日間の撮影を終えたスタッフが続々と発熱したのでした。
そこに飛び込んできた志村けんさんの訃報。
一気にコロナウイルス禍が身近に感じられる出来事でした。
そのとき、五十嵐監督はスタッフ・キャストを集め撮影の続行の可否を皆に問うたのでした。
撮影は中断、五十嵐監督は「同じスタッフ・キャストで必ず撮影を再開する」と一同に誓いました。
ちなみにスタッフは主に熱中症でPCR検査の結果は全員陰性でした。
当然、撮影を中断すると製作費が超過し、先にスタッフ・キャストのスケジュールを押さえられる保証もありません。
ここで、映画製作が中止になることも往々にしてあります。
そんな先の不安を解決しようと4社は地元の協賛社を募り、紙面では個人サポーターを募集して撮影再開の道筋を地道に固めていきました。
全国に広くあまねく宅配を行っている全国紙と、地元に根強く・深くつながりを持つ地方紙との違いをまざまざと見せつけられました。
応援してくれる企業、サポーターの顔がはっきりと見えて信頼しあえているのだなあと感じました。
そして、五十嵐監督自身も脚本を練り直すだけでなく、協賛社まわりもいとわなかったのでした。
多くの協賛社とサポーターのおかげで、1年8カ月後の21年11月撮影は再開しました。
監督も、スタッフも、もちろんキャストもこの期間を空白ではなく熟成の期間として捉えてくれていたようでした。
12月撮了、コロナウイルス禍もちょうど下火のころでした。
さらに、下野新聞社、神戸新聞社、とちぎテレビ、サンテレビジョンを中心に全国のブロック・地方紙、独立U局に、沖縄タイムス社、琉球新報社は沖縄の放送局にそれぞれメディアパートナーの提案をしてまわりました。
結果、製作委員会の他に新聞15社、放送局18社計33社が名前を連ねたのでした。
くしくも沖縄返還50年の年の夏に公開
3月に初号が上がり、秋ごろ公開をめざして計画を進めようと話をしていたさなか、夏にシネスイッチ銀座がブッキングできるという吉報が飛び込んできました。
くしくも沖縄返還50年の年の夏に公開ができる。
駆け足で宣伝の準備に取りかかりました。
主役の萩原聖人さん、村上淳さんの2人と吉岡里帆さん、香川京子さんの2人が演じた凜役をメインにしたポスターには「命どぅ宝、生き抜け!」のコピーに、ネタバレの「私、生きましたよ」を加えました。
ちょうど、連日ウクライナへのロシアの進軍で戦争が身近なニュースになり、「生きた人の話」ということを伝えた方が良いとのとっさの判断でした。
また、予告編のナレーションを香川さんにお願いしました。
1953年公開「ひめゆりの塔」に出演後、沖縄の人たちと交流を続け、92年には「ひめゆりたちの祈り:沖縄のメッセージ」(朝日文庫刊)も出版されていました。
そんな彼女のナレーションはほぼ、1発OK、実に説得力のある語りが収録できました。
昭和の「ひめゆりの塔」から令和の「島守の塔」まで、脈々と続く平和への思いを香川さんにつなげていただきました。
個別取材、完成披露試写会などを行い、本紙は当然のこと、朝日・読売にも広告を掲載し東京の公開に照準を絞りました。
五十嵐監督の完成披露試写会の時に発した「完成は奇跡だった」をはじめとして、萩原さん、村上さん、吉岡さん、香川さんのインタビューでもこの作品の「奇跡」についてそれぞれが自らの言葉で語ってくださいました。
五十嵐監督インタビュー https://hitocinema.mainichi.jp/article/4x64-3j3zr
萩原さんインタビュー https://hitocinema.mainichi.jp/article/b6jsipmfdr04
村上さんインタビュー https://hitocinema.mainichi.jp/article/8787ma2ti
吉岡さんインタビュー https://hitocinema.mainichi.jp/article/9upkuafxppy
香川さんインタビュー https://hitocinema.mainichi.jp/article/l1m612wr638
また、SNSではすでに使っていたTwitter、Facebookに加えInstagram、TikTokを東京公開前にオープン。
あらゆる世代がこの作品にアクセスできるように準備を整えました。
特にTikTokは広く見られています。予告編にも使った本編の新聞少年の縦型切り抜き動画は現在30万回を超える再生がありました。
いよいよ3県での公開
7月22日シネスイッチ銀座で公開。
翌23日に2回行った舞台あいさつも多くの観客に見守られスタートしました。
そして、いよいよ3県での公開が明日に迫っています。
沖縄では沖縄タイムス、琉球新報の2紙が見開きの特集をなんと共同制作し、それぞれの紙面で同日に掲載しました。
下野新聞、神戸新聞も負けてはいません。
見開きの特集など圧倒的な記事量で公開ムードを盛り上げてくれています。
この4紙の思いはきっと各県民に届くに違いない。
地方紙の底力に大いに驚かされつつ、3県の初日を迎えます。
約3年、本社原作映画以外では異例の長さでこの映画と向き合うことになりました。困難と奇跡とパートナーへの畏敬(いけい)の念の連続の体験でした。
ぜひともこの映画「島守の塔」を劇場の大きなスクリーンにてご覧ください。
追伸:映画撮影の中断に際して「この作品は単なる映画事業ではなく、映画運動として次世代に伝えましょう」と言われた下野新聞社のTさんの言葉を具現化できるよう、にこれからも宣伝を続けていきます。