第78回毎日映画コンクール田中絹代賞 薬師丸ひろ子

第78回毎日映画コンクール田中絹代賞 薬師丸ひろ子

2024.1.29

「偉いな、頑張ってるな」高倉健の言葉に支えられて 毎日映コン田中絹代賞 薬師丸ひろ子

毎日映画コンクールは、1年間の優れた作品と活躍した映画人を広く顕彰する映画賞です。終戦間もなく始まり、映画界を応援し続けています。

勝田友巳

勝田友巳

受賞の知らせを聞いて、「おかあさん」「雨月物語」「西鶴一代女」といった田中絹代の出演作を何本も見直したという。「10代から20代にかけて、古い映画をむさぼるように見ていた時期があったんですが、今回改めて田中さんの偉大さに気づいて、賞の重みを知りました」。昭和の大女優の功績を継ぐ現役女優に贈られる。第40回から制定され、39人目の受賞者だ。「大先輩の名前が付いた賞で、こんなに光栄なことはないし『もっとがんばんなさいよ』とお言葉をいただいたと感じています」


田中絹代(左)と長谷川一夫=1949年

画面のすべてを采配している

作品を見直し、田中を「監督だと思いました」という。実際に女性監督の先駆けとなったこともあるが、俳優としても。「主役でない時でも、画面を采配している。自分がどうあるかだけではなくて、どう成立させるか、周りのこと全てに配慮して。監督の目を持っていた。だからその姿から、一瞬も目を離せない。着物の裾のさばき方、畳を掃き掃除する仕草一つが勉強になる。引きつけられました」

デビューした年齢は、田中とほぼ同い年。1978年、中学生の時に「野性の証明」のオーディションに合格。高倉健の娘役に抜てきされ、鮮烈な存在感で注目を集めた。角川春樹が進めたメディアミックス路線に乗り、「翔んだカップル」「セーラー服と機関銃」(ともに相米慎二監督)と立て続けに主演した作品が、主題歌とともにヒットし、瞬く間に国民的人気を得た。

本番を回してもらえない

ただ、もともと芸能界に強い意欲があったわけではなく、10代での成功には戸惑いや反発もあったようだ。相米監督の厳しい演出に、苦しい思いをしながら演技を磨かれた。

「ほめられることはなくて、演じる仕事に自信の持ちようがなかった。名前なんか呼んでくれない。朝から夜中までリハーサルで本番を回してもらえない。自分のために時間が割かれているのは痛いほど分かる。大先輩が付き合ってくれたわけですから、がんばる以外にできなかった。あの時代だから許された厳しさと、優しさだったと思います。それに甘やかされないからこそ、ここにいていいのかとも思いました」

「Wの悲劇」 涙が枯れて女優の未練もなくすっからかん

映画公開当時は、出演作を見ていないという。「絞られた記憶が生々しくて。映画のヒットと自分の感情が並行してないんです」。まれに見直すと、忘れていることに驚くそうだ。「先日も『Wの悲劇』(1984年)を、いち観客として見てしまいました」。映画を見ながら「こんな人の罪かぶるなんて」「主役になっていい気になって、どうなるんだろうこの人」「あ、私刺されるんだと思ったら、世良(公則)さんが出てきて!」……。「それぐらい作品から離れていました」

ただ、最後の場面の撮影は覚えていた。自身が演じる主人公が、世良が演じる恋人に別れを告げる。泣き笑いの顔で舞台の上のように一礼する名場面。

「澤井信一郎監督は『もっと、もっと、もっと』と。もっと泣けということだったんですが、リハーサルを繰り返していっぱい泣いて、涙が枯れて出てこない」。演じながら「この作品が公開されたら、絶対やめてやると怒っていました」。20歳までは俳優を続けると決めていたが、その後は未定。ちょうどその時期だった。これがよかった。

「女優への未練もなくなって、これからは好きな時に笑って泣く、絶対に人に感情を左右されないという気持ちが、恋人とやり直す気もない彼女とシンクロしちゃったんです。演技とか考えられなくなって。OKになったテークを見たら、涙を流して泣いてるわけじゃない。監督は、すっからかんになった無の状態を狙ってたんじゃないかと思うんです。すごい演出だった」。「Wの悲劇」は毎日映コンで日本映画大賞、脚本賞を受賞した。


監督としても活躍した田中絹代=1953年

「ヨーイ」で世代を超えて一つになる物作り

映画を突き詰めた田中絹代と違って、休業宣言をしたり大学で学んだりと、〝寄り道〟もしてきた。それでも続けてきたのは、高倉健との出会いがあったから。「叱られたことはなかったし、現場でしごかれていたことも、耳にしていたと思うけれど何も聞かれない。だた一言『偉いな、がんばってるな』と。そこには、しょわなきゃいけないことが山ほどあるけれど、続けてくんだよという言葉があったような気がしていました。裏切っちゃいけない、がんばってないと裏切ることになると、10代の頃に感じていた」

そしてもの作りの魅力。「現場はとても好きです。13歳のころ、女優は続けなくてもスタッフに回って仕事したいと話していました。でも、当時はスタッフに女性が少なかったし、セリフは覚えられるから女優ならものを作る現場にいられるのかなと、今もそれは感じています。監督の一声で、同じ方向を見てものをつくれる仕事はそうそうないと思うんです。『ヨーイ』のかけ声で世代を超えた人たちが、同じ方向を見て同じ気持ちでものを作る、心地よさがあるんです」

ちょっとでも近づきたい

歌手としても活躍しながら、45年。言葉を届ける俳優としての、心構えを持っている。「書かれたセリフであっても、自分から出た言葉には責任があると思っています」

「コーヒーが冷めないうちに」(2018年)の撮影で、認知症の女性を演じた時のこと。夫婦の切々としたやり取りのリハーサルで、スタッフが泣き出した。何度も繰り返して段取りが分かってくると、泣くタイミングが早くなっていく。自身が「さあ、これからと助走してる時」というタイミングで、内心「ちょっと早いんだけどなあ」。「でも、ありがたい。感情の機微を、年代問わず受け取ってもらえる、そういうセリフやシチュエーションがある脚本に出合いたいし、ワンシーンでもそこに向かってお芝居できたらと思います」

「この年齢で田中さんの作品に触れたことは、ものすっごく大きなことでした。この賞をいただいたことで、人生を重ねていくからできる役がある、田中さんのように目が覚めるような美しい所作があると気づいた。まだまだやらなきゃいけない、ちょっとでも近づきたい。『そうしなきゃいけないのよ、あなた』と声が聞こえた気がしました」

【第78回毎日映画コンクール】
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【受賞者インタビュー】
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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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