3度の飯より映画が好きという人も、飯がうまければさらに映画が好きになる。 撮影現場、スクリーンの中、映画館のコンフェクショナリーなどなど、映画と食のベストマリッジを追求したコラムです。
2023.6.21
ロケ飯にもお茶の時代を作ろう! マルチタスクの2人が切り開く日本茶の世界
「7年前、オーストラリアのワーキングホリデーで出会って、将来白石くんと仕事がしたいとずっと思っていました」との黒田健斗さんの話を受けて「黒田くんは多才で、お茶のキッチンカーでイベントに行ったのに、会場の木材などを使っていつのまにか木工のワークショップをやっていました」と楽しそうに話す白石尚己さん。
左から白石さん、黒田さん
見た目も雰囲気も全然違う2人
日本茶に特化した店舗、キッチンカーTea Eraを展開する2人はともに30歳。見た目も雰囲気も、しかも名前が白と黒と全然違うが、話していると何かがつながって一つのところにいる安心を感じる。店名は沖縄・石垣島の港で地元の人と3人が話している時に「お茶の時代を作ろう!」と決めたのだと言う。
この店を始めるまで香港でキャビンアテンダントをしていた白石さんと、ノマドワーカーで直前まで沖縄で働いていた黒田さん。お茶に興味を持っていたのは白石さんの方だった。「毎朝祖母がいれてくれるお茶が好きだった。CAとして世界を回ったが、日本茶に勝るお茶を飲んだことがなかった。海外で甘味料が入ったお茶を飲んで気持ち悪くて捨てたこともありました」
宇治和束、上嶋爽禄園との出会い
新型コロナウイルス禍が世界中を襲い、航空業界は大打撃を受けた。「ここで、思いの強かった日本茶に打って出よう!」と一気に会社を辞め、起業に向かった。「まずは100以上の茶園に連絡してお茶を取り寄せた。その中でピンときた京都の宇治和束の上嶋爽禄園にさっそく向かった。その頃には沖縄にいた黒田さんもジョインしていた。上嶋爽禄園の上嶋伯協さんは日本茶の世界では著名な人。それなのに僕たちにフラットに接して、話を最後まで聞いてくれた。日本茶を世界にという気持ちがお互いにあったし、若い力を使ってお茶を売ってほしい」とエールをもらった。そして白石さんは園に何度も通い、黒田さんも園の農作業に従事した。
アトリエ蘭の澤田彩織さんとの出会い
まずは2020年、上嶋爽緑園のお茶をパックにしてインターネット通販を行ったが、全く売れなかった。飲んでもらえばわかると見よう見まねでキッチンカーを手作り、神奈川・江の島に店を出した。「江の島に来る人はどこに行こう! 何を食べよう! 何を飲もう!とはっきりした目的があって、こちらでも全然売れなかった。観光客に何とか飲んでもらおうとお茶の味を生かしながら色をつけたり、甘味料も入れたりもしたかなあ(笑い)」と白石さん。「迷走を続けていく中、確実に貯金が減っていくので、やれることはなんでもやった」と黒田さん。
そのうちの一つがキッチンカーが集まるイベントへの出店。そんな中の一つ、神奈川県綾瀬市のイベントでアトリエ蘭の澤田彩織さんに出会ったのだ。「初めて会った時は、名刺もくれずに、嵐のように現れてあいさつして、嵐のように去っていった。後で聞くと打ち上げの焼き肉屋の予約時間が迫っていたからだったそうだ」と白石さんが笑いながら振り返る。ある時、澤田さんが主催するキッチンカーイベントの誘いをInstagramのメッセージで受け取り、出店した。そんな縁で仲良くなり、澤田さんのお弁当をロケ現場に運ぶとともにお茶を出す今の形態が自然発生した。
「日本茶のケータリングは珍しく、制作部や俳優部の指名を受け、単独で現場に行くことも増えてきた。もう仕事を選べるようになった。澤田さんとの出会いが大逆転を生んだ」と黒田さん。江の島で苦し紛れに色を付けたお茶は「推し色」ブームに乗ってコンサートの出店では引っ張りだこだそうだ。
6月からは東京・幡ケ谷駅近くに澤田さんと共同で茶々を出店。朝はアトリア蘭のセントラルキッチン、昼はお茶漬け食堂、夜はお茶割り中心のバーとして営業している。
一つの価値観にとどまらない、マルチタスクの感覚がこれからの経済を切り開いていくんだなあと思わせる白石さんと黒田さん。考えてみれば白と黒はボードゲームの駒の色に使われる。日本茶という盤面で白と黒をお互い指しあいながらマス目いっぱいに人生を広げていってもらいたいと思う2人なのでした。
☑人気ロケ飯
日本茶
急須に入れて茶葉を蒸らし、ゆっくりいれていく。1杯目は45~50度でいれるとだしのような濃厚な味がする。2杯目は80度の高温でいれさっぱり飲んでもらう。冷たいお茶は水出しで丁寧に一夜かけて抽出する。これはお店の茶々夜の部でお茶割りに使われるという。次回はぜひとも夜に行きたい! そう思わせる味でした。