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2024.1.30
「人とは何か」問い続けるしかない 連続殺傷事件を映画化した覚悟と葛藤 それでも「やってよかった」 毎日映コン監督賞 石井裕也「月」
「今回はいろんな意味で特別。見てもらえるかどうかも分からなかったから、ホッとしてるのが正直なところ」。意欲作を次々と発表し、毎日映コンも「船を編む」(2013年)で日本映画大賞、「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」(17年)で脚本賞など、何度も受賞した実力者。それでも「今までとは全く違う心境ですね」。
どうしても作らなければ 批判は仕方ない
16年に起きた、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の入所者19人が殺害された事件を題材にした。事件直後から「映画にしなければ」と思いながら向き合えずにいるうちに、辺見庸が事件を描いた小説「月」を発表。「新聞記者」など時事問題を映画化してきたプロデューサーの河村光庸にその映画化を持ちかけられ、「覚悟を決めて」取りかかった。
「月」の前に、「愛にイナズマ」をいわば助走として撮影した。「『月』が大変な撮影になることは分かっていたから、楽しい作品でまったく違う方に振り切れば、その反動でエネルギーを獲得できると思った」。社会風刺したコメディーと見かけは正反対だが、「なかったことにするな」というテーマは共通だ。「思考も気分も『月』のようなものに向けられていた」と話していた。
「月」には「よくぞ映画にした」という声がある一方で、批判も浴びた。「いろんな意見が出ることは、最初から分かっていた。認めないという強い意見が出ることも。でもそれでおびえてやめるとか、表現を緩和することは考えられなかった。どうしても作らなければという思いでやったことだから、批判は仕方がない」。描いた内容に迷いはない。「否定的な意見を含めて、ありがたい」
人でないものはいらないのか
小説は、寝たきりで言葉も発さない入所者、きーちゃんの内的独白として、仕事熱心な職員のさとくんが事件を起こすまでが書かれている。自身の手による脚本では、施設できーちゃんの世話をする作家、洋子の視点を導入した。「映画としては、きーちゃんを主人公にして見せていくのは難しい。観客がきーちゃんと同一化して、彼女を取り巻く世界を我がことのように感じてもらえる作劇としようと思った。洋子は、観客が自分を重ねる存在です」
洋子は障害を持って生まれた子どもを亡くし、再び妊娠したものの産むかどうか迷っている。「人でないものはいらない」というさとくんを否定しながら、自身の中の迷いと直面する。「さとくんと洋子は合わせ鏡。他者でありながら、そこに自分を見いだす多重構造を作りたかった」
さとくんは繰り返し「人とは何か」と問いかける。動けず話せない障害者に「心はあるのか」と。自分の主張を疑おうとしないさとくんに対し、洋子は激しく揺らぐ。「さとくん以外はみんな揺れている。いろんな感情の中で、絶えず葛藤しているんです。半面、さとくんはある時から全く葛藤しなくなる。その対比を考えました」
©2023「月」製作委員会
普通だから事件を起こした
俳優にとっても、覚悟が必要な作品だった。特に、さとくん役の磯村勇斗とは対話を重ねたという。「何が犯行の引き金になったのか、長い間話し合った。結論を出せるものではないけれど、ある程度の理解と了解がないと演じられない。そこで仮に出した結論は、〝普通〟だから事件に手を染めたということ」
さとくんが主張する「いらないものはなくした方が良い」という思想は、実は社会の隠れた総意、普通のことではないか。「そう考えることにあるはずの、ためらいや葛藤がなくなった。さとくんは〝普通〟であることをよしとしてしまったのではないか」
映画はさとくんを純粋な悪としては描かない。さとくんは誰の心にも存在するのではないかと問いかける。事件を繰り返さないためには、どうすればいいのか。「ひたすら悩み続けるしかないと思う。人とは何かと。答えを出した瞬間に、さとくんに近づいてしまう。苦しいし面倒だけど、言い訳して放棄するのはもっとまずい」
障害者や施設の描き方について、疑問の声もある。「施設の様子も含めて、一番気を使ったところではあるんです」。施設の虐待などは取材に基づいた。「苦しくなる、不快になる人がいるのは分かる。しかし事実としてそういう側面はある。見ようとしない、目を背けようとする人がもしいたら、また同じことが繰り返されるのではないか」
見えないものを可視化する
覚悟の上とはいえ、葛藤しながらの撮影だった。「あらゆるプレッシャーがあった。映画は何であれ、作るのは怖い。スタッフや俳優に問題が及ぶことも避けたかった。しんどい撮影ではありました」。完成前にプロデューサーの河村が死去、配給のKADOKAWAが五輪汚職事件に巻き込まれるなど、映画の外でも逆風にさらされた。
「最悪の想定は、公開できないこと。その次は、無理して公開したけどバッシングの嵐になること。それでも、誰もやらなかった領域に踏み込んだことを、評価してくれた人がいることは救いになった。やってよかった」
「見えないものを可視化することは、映画のいくつかの本質の一つだと思う。スキャンダラスなことをやってやろうという気持ちではなく、世界の暗部に切り込んで表現できたことに、誇らしい気持ちはあります。表現する時に、楽しちゃいけない。勇敢でなきゃいけない。当たり前のことを、改めて思い知らされました」
「茜色に焼かれる」(21年)でコロナ禍の現実を厳しく見つめ、「愛にイナズマ」では映画界の搾取構造を批判した。社会と正面から向き合った製作姿勢も、一区切りのようだ。「社会問題を物語に入れ込もうという意志を排除した時に、それでも潜り込んでしまう視点や社会性の方が、観客の無意識に届きうるのではないかと思っています」。新たなステージに飛躍しそうだ。
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