第74回ベルリン国際映画祭は、2月15~25日に開催。日本映画も数多く上映されます。戦火に囲まれた欧州で、近年ますます政治的色合いを強めているベルリンからの話題を、現地からお届けします。
第74回ベルリン国際映画祭
第74回ベルリン国際映画祭(2月15~25日)は、最高賞の金熊賞にドキュメンタリー「ダホメ」(マティ・ディオップ監督)を選んで閉幕した。コンペティション部門20本の中には、突出した作品こそ見当たらなかったものの、世界各地からの多様な「声」が並んでいた。「政治的」と形容されてきたベルリンは、各地で紛争が続き分断と対立が深まる中で対話を促し、授賞結果はその象徴に見えた。 ウクライナ、ガザ地区……混迷映し 映画祭は開幕前からざわついていた。ドイツ国内では政府のイスラエル支援に反対の声が上がり、政党関係者を招くことが慣例となっていた開会式に、排外主義的な右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」を招待しないとの声明を直前に発表。会期中にはガザ地区の紛争に対応して「タイニーハウス(小さな家)」プロジェクトを実施。17~19日の3日間、会場近くに小屋を設置し、誰でも意見を交わすことができる場所として開放した。 授賞式が行われた24日は、ロシアのウクライナ侵攻からちょうど2年。5年の任期を終えて退任が決まっている映画祭代表のマリエッテ・リッセンビーク、芸術監督のカルロ・シャトリアンをはじめ、受賞者も口々に停戦を訴え、抑圧され、苦境にあえぐ人々への連帯を表明した。 植民地の埋もれた声を掘り起こす 「ダホメ」© Les Films du Bal - Fanta Sy そうした中で見れば、「ダホメ」は今年の金熊賞にふさわしい。2021年、パリの博物館に収蔵されていたダホメ王国の文化遺産が、アフリカ・ベナンに返還される過程とその後を追う。略奪され1世紀以上の不在の後に戻ってきた文化遺産をどう扱うべきか、ベナンの大学生たちの討論を、美術品の彫像が独白する虚構の声を交えて構成した。植民地時代に失われた、言語を含めた文化の回復は可能か、美術館に収蔵することの意義といった議論を通して、帝国主義が現代に残した傷痕と、その修復の可能性を問い掛ける。セネガル系フランス人で女優としても活躍するマティ・ディオップ監督は「返還は正義の実現の第一歩だ」と訴えた。 「ぺぺ」© Monte Culebra 最優秀監督賞の「ペペ」も、歴史に埋もれた声を伝えた。ドミニカ共和国のネルソン・カルロス・デ・ロス・サントス・アリアス監督は、アフリカから米大陸に連れてこられたカバが、人間に殺されるまでのてんまつを描く。物語性は希薄で、映画の基調となるのはカバの独白だ。その言葉は時と場所を越えて漂い、アフリカーンス語やスペイン語など複数の言語を行き来する。イメージの連なりが、植民地で支配された人々のアイデンティティーや、人間と自然との関係を批判的に浮き彫りにした。 両作とも世界の映画地図に新たな地平を開き、主張や表現に挑戦は感じられたものの、他を圧するほどの力強さがあったわけではない。授賞結果は、映画祭を取り巻く状況と時代を強く映し出したのではないか。 審査員大賞ホン・サンス監督「審査員はどこを見たのか……」 セバスチャン・スタンが主演俳優賞を受けた米国の「ア・ディファレント・マン」は、整形手術で特異な顔貌から劇的に変化し、新たな人生を歩み始めた主人公が、かつての自分とそっくりな男に全てを奪われる。脚本賞のドイツ映画「ダイイング」は、家族と疎遠になった指揮者の主人公が、両親と親友が死に直面したことをきっかけに、自らを深く見つめ直す。いずれも「自分とは何か」を問い掛けていた。 「旅行者のニーズ」© 2024 Jeonwonsa Film Co. 審査員大賞を受けたホン・サンス監督の「旅行者のニーズ」は、韓国で若い男性の部屋に居候しながらフランス語を教える女性教師が主人公。学習者と片言の英語で会話し、日々マッコリをあおる主人公をフランスの大女優イザベル・ユペールが軽妙に演じた。いつもながらのホン・サンス節で、授賞式で監督自身が「審査員がどこを見たのか……」とスピーチして笑いを誘った。審査員賞の「帝国」は、フランスの鬼才、ブリュノ・デュモン監督がのどかな村でひそかに進行する、地球外生命体の善と悪との戦いを描く。「スター・ウォーズ」のようなスペースオペラが、海辺の小村の漁師らの間で展開する壮大かつオフビートなパロディー。2作に賞を贈ったのは独創性、作家性への賛辞といったところか。 無冠作品にも秀作 個人的には、イランのマリヤム・モガッダム、ベタシュ・サナイハ両監督「マイ・フェイバリット・ケーキ」と、ロシアのビクトル・コサコフスキ監督によるドキュメンタリー「アーキテクトン」が無冠だったのが残念。 「マイ・フェイバリット・ケーキ」© Hamid Janipour 「マイ・フェイバリット・ケーキ」は、日本でも公開された「白い牛のバラッド」の監督コンビの新作。70歳の孤独な女性の一夜の恋を、ユーモアと悲哀を込めて描いた。万国共通の老いを見つめる一方で、強圧的な体制の下でも自由に生きようとする女性を生き生きと造形。2人の監督はイランからの出国を禁じられ、主演のリリ・ファルハドプールが「イラン社会の女性の現実を、危険を覚悟で表現した」と訴えていた。国際映画批評家連盟賞などを受賞したのに、本選では賞に漏れた。 「アーキテクトン」© 2024 Ma.ja.de. Filmproduktions GmbH, Point du Jour, Les Films du Balibari 「アーキテクトン」は、独仏合作。爆撃によって破壊されたウクライナの建物やレバノンの2000年前の遺跡、石で地面を丸く囲い、人の立ち入りを禁じて自然に任せる実験を始めた建築家ら、さまざまな形態の「石」を、高速度撮影や空撮などさまざまな手法で映し出す。ロシアのウクライナ侵攻に抗議する意図も明らかで、言葉はなくても人間と自然との関わりや文明批判といったテーマが浮かび上がる。ゴッドフリー・レッジョ監督のドキュメンタリー「カッツィ」シリーズ3部作を思わせる迫力だった。 今回のベルリンは新鋭発掘を重視したのか作品集めに苦労した結果か、完成度よりも意欲が先行したきらいのある映画が目立った。3大映画祭の中では、巨匠の囲い込みを進めるカンヌ、アカデミー賞を意識したベネチアと比べると、地味な印象は否めない。次回からはロンドン映画祭を率いたトリシア・タトルが作品選定を担う。コロナ禍を乗り切ったシャトリアンの交代は物議を呼んだし、三宅唱監督らの新しい日本映画を紹介してきただけに、その影響も気になるところ。体制刷新が映画祭をどう変えるか、注目される。
勝田友巳
2024.2.26
第74回ベルリン国際映画祭で上映された「夜明けのすべて」は、満員の客席から大きな拍手を受けた。三宅唱監督にとって3度目のベルリン。主演の松村北斗、上白石萌音とそろって訪れ、「満員のお客さんに見てもらえるのは格別」。「優しい」と評される作風は、世界情勢を凝縮したような映画祭出品作の中では独特だ。三宅監督が考える「映画にできること」を込めた作品は、ベルリンにどう響いたのか。 3作連続でベルリン出品 2019年の「きみの鳥はうたえる」がフォーラム部門、22年に「ケイコ 目を澄ませて」がエンカウンターズ部門、そして「夜明けのすべて」が再びフォーラム。3作連続である。「初めて来たときからお客さんが主役という感じがして、大好きです」。「ケイコ 目を澄ませて」の時はコロナ禍の最中での開催で、入場制限のため客席は半分だけ。今回はぎっしり満員で「楽しかった」と喜んだ。 ベルリンとの縁は、アーティスティックディレクターのカルロ・シャトリアンでつながっている。商業映画第1作「Playback」(12年)がスイス・ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門に選出され海外映画祭デビューを果たしたが、この時、ロカルノの別部門を担当していたシャトリアンが三宅監督に注目。19年にベルリンに転じたシャトリアンの作品選定チームは「三宅監督を150%応援」という体制だったという。 世界市場への入り口 三宅監督にとって、映画祭に参加する意味は二つある。一つは世界の市場への入り口であるということ。初めてのベルリンでのぞいた、映画を取引する見本市「ヨーロピアン・フィルム・マーケット」に印象づけられた。「ここで作品を見た人たちが、自分たちの映画祭や国で上映してくれる。映画祭の中心であり、世界のマーケットに届く市場だと認識しています」。「ケイコ 目を澄ませて」も映画祭が出発点となって、英仏での公開につながった。 もう一つは、出会いの場だ。「カルロともそうだし、継続的に見てくれるジャーナリストらとコミュニケーションできる。お互いにリスペクトできて仲間と感じられる人に出会えるのはすてきなこと」 あしたも頑張るぞと思いたい 世界中から映画祭に集まる作品には、過酷な現実や人間の闇をのぞき込むような厳しいものが多い。しかし三宅監督の映画は、闇よりも光を感じさせる。「夜明けのすべて」は、月経前症候群(PMS)の藤沢とパニック障害の山添が主人公だ。彼らの生きにくさを描写しつつも、穏やかで親密な余韻が残る。ベルリンでの上映も温かな雰囲気に包まれ「登場人物を友達のように感じてくれていた」と満足そう。 「映画祭で紹介される作品の題材に特徴があるのは理解しつつ、自覚的に違う角度から見ています。映画にジャーナリズムの側面があることは知っているけれど、本当に緊急の問題に対しては、映画より報道など別の媒体を使うべきだと思う。ただ、映画でやれることもたくさんある。それはポジティブな力を俳優と一緒に表現して、エネルギーを与えることではないか。自分でも、映画を見てよかったな、あしたも頑張るぞと思いたい。そのことで、世の中が少しだけでも良くなるかもしれない」 「メッセージが明るくなくてもいい。この映画も派手ではないし、2人の病気が治るわけでもない。それでもネガティブな感情を引きずるよりは、ポジティブな力を見つけて物語を終えたいと思いました」 トラブルの時こそ人間の器量が分かる 映画を作る際に心がけるのは「知ったフリをしない」。今作でも、PMSやパニック障害について多くを調べた。「さまざまな苦しみを抱えながら生きている人が、見えないけど確実にいる。症状や苦しみ方も人によって違う。そして多くの人はそうした疾病や障害を隠したいと思っている。だからこそ社会が無関心のまま、無理を強いるシステムになってしまう。PMSやパニック障害を描くだけではなくて、日本で働くこともテーマにある」 藤沢と山添が勤める栗田科学は、学習教材を扱う小さな会社だ。社長はじめ同僚たちは、発作を起こした2人に、柔らかく包み込むように対処する。「トラブルが起きた時こそ、人間の器量が出ると思う。撮影現場でもベテランのスタッフは、トラブルの時こそ慌てず落ち着いて対処する。そうしたプロフェッショナリズムから学んだと思います」 栗田科学のような会社なら、誰もが働きたいと思うのでは。「こんな会社も、ファンタジーでなく存在すると思う。かつては利益重視の猛烈会社だったけれど、社長の弟の自死で働き方と生き方を見つめ直した。想像力を膨らませて、命を絶つ人が減ってほしいという願いがベースにあります」 原作を深いところで理解してくれた 上白石と松村の起用は、プロデューサーからの提案だったという。上白石が原作の大ファンと知って、脚本段階から意見を聞いた。「彼女でなければ違う映画になっていたと思います。ミュージシャンでもあり、アーティストとして尊敬しています」。松村とは今回初めて。「真面目に熱心に取り組んでくれた。人間的な魅力にあふれた、好青年です」 声を張らず、感情を爆発させることもなく、自然に演じた。「現実的な映画にしたかったんです。病気は隠したいのが現実で、見せびらかすような演技はしない。俳優も同じ考えで、抑えるまでもなく3人が同じ方向に向かっていました。瀬尾(まいこ)さんの小説を深いところで理解して臨んでくれたことが、リアルな表現につながったと思います」
2024.2.24
第74回ベルリン国際映画祭には、日本発の新しい形の映画が上映された。「A KIND OF FREEDOM(ある種の自由)」と名付けられた2本立てで、黒沢清監督の「Chime」と工藤梨穂監督の「オーガスト・マイ・ヘヴン」だ。この2作、劇場公開でも動画配信サービスでも、DVDなどのパッケージでもなく、「デジタル・ビデオ・トレーディング(DVT)」という枠組みで作られた。クリエーターの自由を尊重し、消費される〝コンテンツ〟ではなく〝コレクション〟として扱う新たな試み。一体どんなものなのか? 収集品として映画をめでる ベルリンには、話題作を上映するベルリナーレ・スペシャル部門での出品だった。「Chime」は45分、「オーガスト・マイ・ヘヴン」は40分という長さで、内容的には全く関係ない。ベルリンでは一つの上映枠で連続上映された。20日夜の公式上映は満席の盛況だった。 ベルリンの観客は、中編の映画作品として楽しんだことだろうが、この2本、流通の仕方が従来の映画とは全く違う。DVTとは「Roadstead」というインターネットのプラットフォーム上に作品を収蔵し、会員がオンラインで作品の視聴権を売買する仕組みだ。作品を購入して〝所有者〟となれば自由に鑑賞できるし、Roadstead上で会員同士の2次的な取引もできる。一方著作権は製作者にあり、すべての売買から製作者側に利益が還元される。作品のデータは暗号化されるため、ダウンロードや所有者によるコピーはできず、Roadstead上にだけ存在することになる。 濱口竜介監督と映画仲間 Roadsteadを運営する川村岬は、IT企業の経営者だ。プロデューサーとして支援する岡本英之とともに、濱口竜介監督と学生時代に映画を作った仲間という間柄。濱口が共同脚本、岡本がプロデューサーを務めた「スパイの妻」(黒沢清監督)で映画製作に参加し、映画界とつながった。従来の製作委員会方式や宣伝、配給の流れを見るうちに「映画にも多様な買い方、売り方があっていいのではないか」と考えるようになる。取引履歴の厳密な追跡が可能なブロックチェーンの技術を利用すれば、クリエーターにとって有益な仕組みが作れると構想したという。 第74回ベルリン国際映画祭でRoadsteadについて話す岡本英之(左)と川村岬 「動画配信サービスが隆盛となり、視聴者は作品を消費している。Roadsteadは消費ではなく所有する感覚」。作品の複製数も限定するから鑑賞機会は限られ、希少価値も生まれる。作品の所有者には転売益も期待できるが、むしろ「才能支援につながるといい」と考えている。「埋もれている才能を見つけて作品を購入することで、次の製作資金となり、支援することになる。持続可能な、新しい作品流通の形が提示できるのではないか」 とはいえ、映画製作は多額の資金が必要だ。不特定多数の観客を目指さず、製作費の回収はできるのだろうか。「マーケットは最初から世界。今回のように映画祭で上映されて情報が広がれば、世界のどこでもすぐに買ってもらえる」。世界的な知名度のある黒沢監督と新進の工藤監督の組み合わせは、自由な表現活動の象徴だ。DVTをどう活用するかはこれからという。「試行錯誤している状態だけれど、全く新しいことをやろうとしているから当然だと思う。観客との出会いも求めたいし、今回のような上映の反応も参考になる」 「正体不明」目指した さて、では作る側はこの仕組みをどう捉えたのだろう。Roadsteadは資金を用意し監督に「自由に」と製作を依頼した。スタッフ編成や撮影などは一般の映画作りと同じだ。黒沢監督は「何をやってもいい」と参加を持ちかけられ、「そんな仕事はまず、ない。すぐにやると決めた」と明かす。目指したのは「正体不明の映画」だった。 「Chime」 ©️2023 Roadstead 「ジャンル映画でもアート映画でもない、社会的な主張があるわけでもない。といって物語やドラマはあって普通の映画と似たところもある」。ストレスにさらされる料理教室の講師が殺人を犯す。動機や結果は描かない。「商業映画の〝面白くないけど必要〟というものはいらないと決めた」のも自由さのおかげ。「『なんだコレ、イヤな感じ』という感覚だけど、しばらくするともう1回見たくなるものを目指した」。まさにコレクターズアイテム。 「僕の映画は、みんなに見てもらうのではなく、気に入ってくれる人全員に見せたい。人数よりも本当に喜んでくれる人に届くのが理想」。Roadsteadの方向性と一致して、「実験ができるし自由もある。可能性を秘めていると思う」。 オールタイムベストを何度も見てほしい 工藤監督は「消費されない作品のあり方をオンラインで追求して、クリエーターに利益を還元するシステムは画期的だと思う」と話す。作品は3人の男女のロードムービーだ。「オリジナルの作品を自由に作れる条件は、誰にとっても魅力的」。満足のいく作品ができたようだ。 「オーガスト・マイ・ヘヴン」 ©️ Roadstead 商業デビュー作「裸足で鳴らしてみせろ」(21年)で映画界の新星として注目を集めているが、一般的な認知はこれからだ。「知名度はないから、作品が売れるのか不安はある。それでも私や出演者が好きという人に届けられるのはいいと思う。口コミで広がってくれれば」と期待する。「誰かにとってのオールタイムベストの作品を目指している。繰り返し見てほしいという思いはいつもあるから、Roadsteadと通じるかも」 もともと劇場で大勢と見るものだった〝映画〟と、観客を限定するRoadsteadの相性は未知数だ。しかし技術の進化によって映画の形は変わり続けている。今回のベルリンで名誉金熊賞を贈られたマーティン・スコセッシ監督も「技術を味方につけて、作品を消費するのではなく、一人一人の声を届けるべきだ」と訴えた。作り手と観客が新たな関係を築くことで、映画がさらに豊かになるかもしれない。
2024.2.22
第74回ベルリン国際映画祭で21日夜(日本時間22日未明)に上映された「夜明けのすべて」。満員の客席は物語と登場人物に敏感に反応し、会場は温かな雰囲気に包まれていた。現地入りして上映に臨んだ三宅唱監督、主演の松村北斗、上白石萌音は客席の反応を肌で受け止め、観客にとどいたことに安心した様子だった。 真剣に見入り、温かい拍手 上映されたのは、個性的な作品を集めたフォーラム部門。三宅監督は「きみの鳥はうたえる」(2019年)がフォーラム部門に、「ケイコ 目を澄ませて」(2022年)がエンカウンターズ部門と、3作連続のベルリン出品となった。作品選考担当者が「作品選定は賛否が分かれるものだけれど、三宅作品は150%全員一致」と告げるなど、評判はすこぶる良好。上映中も約700席の会場から随所で大きな笑い声が聞こえ、緊迫する場面では固唾(かたず)をのんで見守っていた様子。エンドロールが流れると、大きな拍手が湧き起こった。 「夜明けのすべて」は瀬尾まいこの小説が原作で、上白石演じる月経前症候群(PMS)の藤沢と、松村が演じたパニック障害の山添が、互いを理解し支え合う姿を通して社会のありようを問い掛ける。 何かを抱える全ての人のために 上映後には、質疑応答が用意され3人が登壇。病気や障害についての社会的認知についての質問に、松村は「演じるにあたって、自分がパニック障害を何も知らなかったと気づいた。この映画を見た人が、半歩でも障害に近づいてくれたらいい」と訴えた。 上白石は客席に「日本では生理の話はしにくいけれど、ドイツではどうですか」と問い掛けた。司会者から「変わりつつある」との意見を聞いて、「日本でもそうなるきっかけになるといい。PMSだけでなく、何かを抱えて生きている全ての人のために、少しでも救われたらいいという思いで演じていた」と振り返った。 客席から「音楽が印象的」との感想に、三宅監督は「テーマは波とゴースト」と説明。「繰り返すけれどそのたびに違う波、見えないけれどそこにあるゴースト。気配を目指しました」。タイトルについては「夜明けまでの長い時間について描く必要があると感じていた」と明かした。上映中の反応について三宅監督は「予想外の笑いに最初は戸惑ったが、登場人物を友達のように感じてくれたのだと思う。居心地が良かった」と満足げ。 日本を客観的に見るきっかけ 上映終了後には日本人記者と会見。三宅監督は「拍手に感激した。もう一回やりたいです」。松村は「しんどいこともあるが、笑えることもあるという映画で、日本だけの話じゃないと思いました」。上白石も「反応が鮮やかで驚いた。上映後の拍手に実感がこもっていた」。 3作連続のベルリンについて三宅監督は「プログラミングディレクターとそのチームに呼んでもらった。映画を通した人間的なつながりができたことが幸せ。海外映画祭での経験は、日本社会を客観的に見て、日常的な描写にも背景や理由を考えることにつながっている」と語った。 海外での活動について、2人の俳優は意外と控えめ。松村は「映画祭は一過性の奇跡」、上白石も「日本で日本人として頑張りたい」。さらに上白石は「海外に呼ばれたとしても、自分がどういう人間か、日本人がどういう人でどう生きているか、ということが大事だと思う。そこに敏感でいたい」と心構えを話していた。
日本映画の将来のために海外展開は不可欠と、さまざまな支援が本格化している。第74回ベルリン国際映画祭にも、前回に続き若手監督が自分たちを積極的に売り込む姿が見られた。 見本市で企画をピッチ 文化庁は日本映画の海外発信事業の一環として、2023年に続き、若手映画監督を派遣。海外映画祭の出品実績がある若手監督を公募し選抜。ベルリン国際映画祭と併設の見本市「ヨーロピアン・フィルム・マーケット」での企画ピッチなど、海外の製作者や配給業者との関係構築を後押しした。 今回も3人がベルリン入り。金子由里奈監督は初の商業映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」が23年に公開されたばかり。今回は「植物が人間に脅威を与えるホラー映画」の企画という。「特異なアイデアだと言われ、普遍的な物語になり得ると感じている。日本国内では通りにくい企画も、視野を広げて製作資金を集め、開発したい」と手応えを語った。 三人三様 新たな日本映画を 工藤将亮監督は社会問題を映画に取り込んできた。沖縄の現実を描いた第3作「遠いところ」は国内外で高く評価されている。工藤監督は「日本独自の題材を発信することで、海外からも興味を持たれると思う」と語る。企画中の新作は、海外に比べて整備が遅れている共同親権を扱うという。「国際共同製作や海外公開によってリスクヘッジしたい」と日本映画市場を超えた作品を目指す。 藤元明緒監督は「僕の帰る場所」「海辺の彼女たち」と、日本に暮らす外国人の苦境を描いてきた。新作はミャンマーを題材にした作品で、撮影はマレーシア、日本人は登場しない作品という。製作資金の4割は、欧州など海外からの調達を目指す。「国際的なチームで、〝アジア映画〟を作りたい」という。 大使館で初パーティー 文化庁は60億円を計上し、若手クリエーター育成のための基金を設立。映画を含む創作活動で海外を目指す若手に対し、企画開発から海外展開まで一貫して支援する。基金から支出することにより、複数年にわたる継続的な支援が可能になるという。 今回の映画祭期間中には、在ベルリン日本大使館で内外の映画関係者を招いたパーティーも初めて開催。若手監督らに英語で企画ピッチする場を設け、製作者との出会いの場を演出した。文化庁職員は「行政の支援は『縦割り』と批判されることが多いが、外務省、経済産業省、文化庁が一体となって取り組んでいる」とアピールしていた。
2024.2.21
第74回ベルリン国際映画祭は、マーティン・スコセッシ監督に名誉金熊賞を贈った。21日に開かれたスコセッシ監督の記者会見は、開始30分前に満席となり立ち見まで出る大盛況。スコセッシ監督はいつもながらの早口、冗舌で、各国の記者からの珍問奇問を含んだ質問に、時に脱線しながらユーモアを交えて回答。言葉の端々に映画への深い情熱が込められ、集まった記者を感激させた。 第74回ベルリン国際映画祭で名誉金熊賞を贈られたマーティン・スコセッシ監督=ロイター 外国映画を通して学んだ ――映画が変容していく中で、映画祭の意味はどこにあると思いますか。 映画祭の役割は、常に新しく個性的な作り手の声に耳を傾けること。映画祭は、映画の違う見方をする機会となるし、世界をより身近なものにして、人々がお互いや文化を知るきっかけになる。それはとても大事なことだと思う。 ――これまで多くの古典映画の修復を手がけてきました。どのような基準で修復をしていますか。 1971~73年に、ブライアン・デ・パルマやスティーブン・スピルバーグ、ポール・シュレーダーといった人たちと、小さなグループを作っていたんだ。まだみんな本格的に映画を撮り始める前だった。そこで、あの映画を見たか、自分はこれを見たと言い合っていた。でもフィルムの保存状態はひどかった。 昔の芸術映画は魔法のようだ。常に新鮮で発見がある。わたしがサタジット・レイ監督の映画を見たのはテレビの英語の吹き替えで、しかもCM入りだったけれど、それでも素晴らしかった。溝口健二もテレビの吹き替えで、やっぱりCM入りだった。子供の頃、家に本がたくさんあるわけじゃなかったけれど、外国映画を通して多くのことを学んだんだ。ジャングルのような所に住んでいる人も、実は自分と変わらないんだと。映画を見た子供たちが、自分で映画を作らないとしても、彼らの人生が変わるかもしれない。 ――ご自分を一言で表すと? ……ミステリー、かな。 批評家の役割は独自の視点を提示すること ――若い映画人から刺激は受けますか。 問題は時間で、どの映画を見るか選ばないといけないことだ。日本の新しい監督とか「パスト ライブス/再会」とか「PERFECT DAYS」とか、魅了された。なるべくたくさん見たいと思っているんだけど。 ――SNSが普及する中で、映画批評はまだ力を持つと思いますか。 批評の役割は、独自の視点を提示し、映画や映画作家について考察することだ。最近はサイレント映画も修復されていい状態で見られるようになってきた。欧州映画に比べると、アジアの映画はあまり注目されないけれど、日本にもインドネシアにも香港にも中国にも、映画はたくさんある。若い人たちがどれを見に行ったらいいか、道を示してあげられる。それこそ赤ん坊が一歩ずつ歩くときに背中を支えてあげるように、批評家が助けてあげるべきだと思う。 「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」のロケハンでオクラホマに行った時のことだ。とある家に行ったら、そこの20歳の息子が「あなたはボイチェフ・イエジー・ハス監督の『砂時計』を配給した人かと聞くんだ。『そうだよ』と答えたよ。彼は『灰とダイヤモンド』が大好きだという。オクラホマのど真ん中でだ。母親は、兄弟で映画が好きで一晩中見てるといっていた。映画はどこにたどりつくか分からないんだ」 「すべきだ」でなく「したい」でいい ――自分の映画についても話してくれませんか。名誉賞なんですから。 若い頃の野心やエゴはもうなくなった。でも、映画は自由だと思っている。「キング・オブ・コメディ」で、もう何も知る必要はない、自由なんだと気がついた。「レイジング・ブル」や「タクシードライバー」「ラスト・ワルツ」で、全てを自由にしていいと思った。カメラをどこに置くか、何を撮るか、キャラクターが何をするか。物語の語り方も考え直した。 幸いなことに、そうした経験を何度もしてきた。「アイリッシュマン」でもね。ちょっと待てよ、ここでカメラを動かしたくないな、カットを割りたくないなとか。普通の映画になってしまうなと。「すべきだ」「しなければ」ではなく、「したい」でいい。自分が何を扱うべきなのか、が芸術なんだ。 ――映画は大きく変わり、死にかけているように見えますが。 いや、そうじゃない。映画は変わり続けている。小さい頃は映画を見たかったら映画館に行かなきゃいけなかった。映画とはこういうものだと思い込んでいたけれど、じつは決まっているわけじゃない。 映画は世界の他の場所で何が起きているか知らせてくれるし、歴史や文化を教えてくれる。技術は速いスピードで変わっていくけれど、大事なのはやっぱり個の声だ。TikTokだろうが4時間の映画だろうが、シリーズドラマだろうが、表現はできる。つまり、技術を怖がるべきじゃない。技術に先導されるのではなく、制御して望ましい方向に向けることだ。消費して捨てられるのでなく、一人一人の声を届ける方向に。
海外の映画祭は何度も訪れたはずの永瀬正敏にも、第74回ベルリン国際映画祭は格別だったようだ。27年前に同じドイツの地で撮影開始前日に中止となった、「箱男」のワールドプレミア。エンドロールの拍手の中、隣にいた石井岳龍監督を「思わず握りしめた」。胸中に去来した思いを語ってもらった。 淡々と歩く背中に悲しみが 「箱男」は安部公房が1973年に発表した小説の映画化で、92年に石井岳龍(当時は聰亙)監督が映画化を託された。97年、日独合作、ドイツ・ハンブルクでの撮影と決まり、永瀬は先乗りして役作りにかかる。 「1カ月、ホテルの部屋でのぞき窓を開けた段ボールの箱をかぶって生活しました。監督からは『毎日目の写真を撮る』とミッションを与えられて」。箱男は全身を隠していて、のぞき窓から見える目だけが演技の要。「当時はデジカメがないですから、ポラロイドカメラで撮影して、監督に見てもらってたんです。なかなかOKがもらえず、自分でも『まだだな』と思っていたんですが、ようやく『これかな』と思う写真が撮れた。監督に見せたら『これだ!』と」 そして迎えた撮影開始の前日、ハンブルクの町中でスチール写真を撮影することになり、ロビーに集合。いざ出発という段になって、石井監督が呼び出されて姿を消す。しばらくして現れたプロデューサーから「この映画を中止にします」と告げられた。「ガラス越しにロビーの向こうに監督が去って行く後ろ姿が見えて、あれが忘れられない。トボトボではなく、淡々と歩いていった。それが余計に悲しくて」 こみ上げるもの抑えたファーストカット その後石井監督とは、「五条霊戦記」(2000年)、「ELECTRIC DRAGON 80000V」(01年)、「蜜のあわれ」(16年)など何度も組んだ。その間も「箱男」は浮かんでは消え、「諦めてないぜ」と出演を依頼され続けてきた。ようやく条件が整って迎えた撮影初日のファーストカットを、27年前も担当するはずだった美術の林田裕至と並んで見たという。「監督が生き生きと『よーい、スタート』と声をかけるのを見て、2人で目を合わせて。こみ上げてくるものを必死で抑えていました」 ワールドプレミアの上映では監督の隣に座った。「上映後の拍手を聞いて思わず監督を握りしめてしまいました。手だと思ったら、脚だったんですけどね。27年前の中止だけでなくて、その後の曲折も知っているし、思いを共有してきた。ようやく映画を作って、しかもドイツに来られた。それを思うと、感慨が深すぎました」 箱から見た世界、体感して 小説の「箱男」は段ボール箱をかぶり自分の存在を消して暮らす男を通して、見る/見られることが存在に与える意味、社会とのつながりを断った果てのアイデンティティーとは何かを問い掛ける、メタフィクション的な構造を持った実験的小説だ。石井監督が映画化を諦めなかったのは、そのテーマが古びなかったから。「1人1台スマホを持ち、情報で武装する時代の匿名性の怖さ。その先見性を感じて、今撮るべき作品だという気がします」。27年前の脚本でも主役の箱男。ただ、趣は異なるとか。 「監督は安部さんから、エンタメにしてくれと求められたそうです。97年にはその要素が濃かったんですが、今回はより原作に近い解釈が入っているという印象です」。今回もやはり段ボール箱をかぶって生活したそうだ。「最初は暗闇で怖いんですよ。でも27年前も今回も、どんどん居心地良くなってきちゃう。危ないです。飼っている猫を中に入れてやると、猫も落ち着いちゃうんです。生き物の根底にある、動物的な何かがあるのかもしれない。皆さんにも、箱から見た世界を体感してほしい」 人との出会い 映画祭ならでは ベルリンには01年のコンペに選出された「クロエ」(利重剛監督)で訪れて以来。国際的な知名度と人気で、舞台あいさつや観客との質疑応答、内外のメディアからの取材に追われるが、楽しみも。「01年には、若手監督のパーティーに参加して、めちゃめちゃ楽しかったんですよ。やっと撮れた、これからも撮り続けたいという映画への思いや熱気がすごくて。一番の思い出」 今回は台湾のツァイ・ミンリャン監督と俳優のリー・カーションと久しぶりに再会した。「映画祭はただの〝形〟じゃない。かかわったたくさんの人たちの人柄を感じるし、毎回学ぶことがある。文化が違うと反応が違うのも面白い。人との出会いも、映画祭ならではですね」
第74回ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映された「箱男」。深夜に及んだ上映から一夜明けた18日、石井岳龍監督、出演した永瀬正敏、佐藤浩市、浅野忠信が日本人記者の取材に応じた。 佐藤浩市「深いもの持って帰ったのでは」 17日の上映は午後10時半に始まり、質疑応答が終わったのが18日午前1時過ぎ。石井監督は「もっとゆっくり話したかった。それでも面白かったと言ってくれた人には女性が多く、安心した」と手応えを感じた様子。佐藤は「異国の地での上映で、どう見られるか、普段より雰囲気を敏感に見た。〝見る〟ことについて深いものを持って帰ったのではないかと思う」。永瀬は「初めて観客に見てもらい、感慨が深すぎた」、浅野も「きっとドイツにもないタイプの映画。自由な作品が増えればいい」と口々に感想を語った。 「箱男」は石井監督が原作者の安部公房から託されて映画化を進め、27年前には製作が決定したものの、クランクイン前日に撮影が中止になっている。「都市に暮らす現代人が、いかに妄想の世界に閉じ籠もっているかを重層的に描いている。現代ではスマートフォンに閉じ籠もり、安部公房の描いたことがはっきり見えた。この時代に作るべくして作る映画になった」と話した。 「映画とは何か」 佐藤と永瀬は当時も出演する予定だった。佐藤は「当時よりも見方が広がって、作品の軸も増えたのでは。映画製作は縁で、中止になっても後でできることもあり、その時でなくて良かったのかもしれない」。永瀬は「監督はその後も、諦めないからねと言い続けていた。その思いが映画の神様に通じたのだと思う。実現に立ち会えたのは幸せだった」と感慨深げ。石井監督は「題材に引きつけられてやまなかったし、映画とは何かという問いへの回答にもなった。今回の最終形態は時代、俳優、スタッフと作品が合致して実現した」と強調した。 石井監督の「ユメノ銀河」「パンク侍、斬られて候」などに出演してきた浅野は、「箱男」では新加入。「毎回現場は男の子が冒険している、遊びをもっと楽しくと追求するような撮影。今回も楽しみました」 【関連記事】 イン前日の撮影中止から27年 「箱男」凱旋 第74回ベルリン国際映画祭
2024.2.18
第74回ベルリン国際映画祭で17日夜(日本時間18日)、話題作を上映する「ベルリナーレスペシャル」部門で日本映画「箱男」が公式上映された。上映前には石井岳龍監督のほか、出演した永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市がレッドカーペットに姿を見せた。 映画は安部公房の小説が原作。段ボールの箱をかぶって自己の存在を消して生きるようになった男たちと1人の女の倒錯した関係を通して、現代におけるアイデンティティーの意味を問いかけている。 「もっとも狂った映画」 石井監督が32年前から映画化を構想し1997年には日独合作で製作が決まったものの、ハンブルクでのクランクイン前日に撮影中止。ようやく完成にこぎつけ、ベルリンでワールドプレミアとなった。上映前には、映画祭ディレクターのカルロ・シャトリアンが映画を「今回のベルリンでもっとも狂った作品の一本」と紹介。石井監督は「完成したのは奇跡と思う。ギャグやシュールなアクションも満載で、最新型のマジカルミステリーツアー。笑って楽しんで」とあいさつ。 現地時間午後10時半からの上映にもかかわらず、会場はほぼ満席。映画は段ボール箱をかぶった男たちが跳びはねながらぶつかり合ったり、裸の女性を箱の中から窃視する箱男を、もう1人の箱男が盗み見たりといった、奇妙な場面にあふれる一方で、偽物と本物を巡る議論が交わされるなど哲学的な部分も。観客は笑うよりもあっけにとられた雰囲気だった。 時代が追いついた 上映後には石井監督と俳優が登壇して質疑応答も行われた。石井監督は撮影中止の経緯を説明。27年前も永瀬、佐藤が決まっていたが、脚本はドタバタ喜劇的だったという。安部公房の死後、原作者遺族の意向で原作に沿った方向に企画が修正されたものの成立せず、その後ハリウッドに権利が預けられたがこちらも流れ、石井監督の再登板となった。「今の日本では難しい、チャレンジングな企画。27年前に頓挫したことは残念だったが、機が熟し、時代が『箱男』に追いついた。今回の作品を気に入っている」と話した。 また哲学的、メタフィクション的な原作の映画化については「原作の読者がみな箱男になるように、見た人全員が箱男になることを念頭に置いた。原作にある謎を解明しようと思った」と明かした。 永瀬は27年前の撮影中止の瞬間に立ち会ったという。「ハンブルクのホテルで、これからスチール撮影の場所を探しに行こうと集まっていたら、監督が呼ばれて出て行き、戻ってきて『この映画を中止にします』と。完成したことに監督の思いの強さと、ドイツでお披露目できることになんとも言えない思い」と、凱旋(がいせん)に感慨もひとしおだった。 かん腸の場面が…… 観客から時代設定について聞かれた石井監督は「原作は1973年の設定だが、今の私たちと深く関わる映画にしたかった。安部公房は、情報化社会が人間にもたらすアイデンティティーの喪失状態を予言していた」とその先見性を指摘した。 俳優には「印象に残った場面は」との質問が。永瀬は「ラストシーン。情報に翻弄(ほんろう)される人間を描いていた」。続けて小さな声で「あとは、かん腸の場面ですかね」と、原作にもある箱男が女にかん腸される場面を挙げた。浅野も「かん腸シーンが……」。佐藤は「27年前の脚本より、アクションもドラマもよりシュールになり、本物とは、偽物とは、というテーマが明確になった」と答えていた。