2022映画「島守の塔」制作委員会

2022映画「島守の塔」制作委員会

2023.8.14

「島守の塔」を見て考える沖縄戦 和合由依研修旅行で沖縄県平和祈念資料館をたずねる

第二次世界大戦中の最後の官選沖縄知事・島田叡、警察部長・荒井退造を主人公とした「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が公開される(シネスイッチ銀座公開中、8月5日より栃木、兵庫、沖縄、他全国順次公開)。終戦から77年、沖縄返還から50年。日本の戦争体験者が減りつつある一方で、ウクライナでの戦争は毎日のように報じられている。島田が残した「生きろ」のメッセージは、今どう受け止められるのか。「島守の塔」を通して、ひとシネマ流に戦争を考える。

和合由依

和合由依

海まで続いているように見えるメイン園路。そこから見た景色は、雲ひとつない青空と刻銘碑と海。メイン園路を歩く私は静かな気持ちになっていました。

沖縄戦によって亡くなった命がこんなにもあるのだ

6月27日火曜日。学校の研修旅行で沖縄県に行きました。ここは大規模な地上戦が行われた場所。平和祈念公園を訪れた際、私の頭の中に、昨年見た映画「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が現れました。映画のシーンにも出てくる「平和祈念公園」。そこには、刻銘碑「平和の礎」がありました。今まで私はこんなにもたくさんの人の名前が彫られている刻銘碑を見たことがありません。沖縄戦によって亡くなった命がこんなにもあるのだと、その時に肌で感じることができました。そこに彫られた人数は、なんと24万人あまり。この〝24万〟という数を、あなたは想像することができますか? 〝 想像する〟ことは難しいと思います。私もそうでした。ですが、そんな〝想像〟では感じられないものを、実際にその現場を訪れて感じることができました。刻銘碑 の中心に立った時、亡くなった人々の人数の多さに驚きました。そんな刻銘碑の中には、「〇〇の子」のように名前が特定できていないまま彫られている人も。まだ幼いのに死を迎えてしまった人たちは、きっとまだ名前がたくさんの人たちに認知されていなかったため、フルネームで名前を残すことができなかったのだと思います。他にも、日本人ではない人の名前も見つけました。その中には敵国で日本人と戦った人の名前も含まれているのだそうです。「平和の礎」は、沖縄の歴史と風土の中で生まれた「平和のこころ」をたくさんの人々に伝えていくために作られました。そんな「平和のこころ」を持ちつづける場所だからこそ、刻銘碑には対戦国の方の名前も彫られているのだと思います。

たくさんの「なぜ」が浮かびます

戦争は、本来巻き込まれるべきでない人たちも巻き込まれてしまう戦だと、私は学校で教わりました。世界には「戦争」というものは必要ではありません。なぜ、国のトップの人たちの争いなのに、国民が関わらないといけないのでしょうか。なぜ、人が人に対して武器を使うのでしょうか。なぜ、何の罪もない人間を争いに巻き込むのでしょうか。なぜ、いつの時代になっても「戦争」というものが無くならないのでしょうか。私には分かりません。私の中に、たくさんの「なぜ」が浮かびます。一人の人間に対して、命はひとつ。みんな同じ生き物で、同じように生まれる。「命」というものは、尊いです。大切にしないといけない、私たちの「たからもの」です。両親だけでなく先祖から授かった「たからもの」なのです。だからこそ、人は人を傷つけてはいけないのだと思います。

戦争は人を選ばない

平和祈念公園には資料館もありました。そこには、当時の戦争中の様子が再現された洞窟や、当時撮られた写真、沖縄戦を経験した人々のメッセージなどが展示されていました。そんなたくさんの展示物の中でも、私が特に印象に残っているコーナーは、「当時撮られた写真」が展示されていた場所です。それらの写真には幼い子供から大人まで、幅広い年代の人々が写っていました。写真は見る者の心にたくさんの感情を生み出させます。言葉では表現できないものを写真では表現できます。写真は映像と違って、音楽や誰かの声が再生されているわけではありません。ですが、その写真が写す人物の瞳や、その姿からメッセージが聞こえてきます。私は彼らから、「戦争は人を選ばない」というメッセージが届けられたように感じます。年齢や立場など関係なく、戦場に立たせようとする恐ろしい場所があったのだということが、その瞳から伝わりました。そしてその写真を見た時、「過去の写真」だと自分の中で思うのと同時に、その姿をこれからの「未来の姿」にしたくないという感情が生まれました。「過去」を「未来」にしてはいけない。繰り返してはいけない。そう強く思いました。

次はゆっくりとたくさんの場所を巡りたい

資料館でたくさんの資料を見ている時、私の頭の中には映画のシーンが何度も再生されていました。写真と映画を頭の中で照らし合わせながら見ていたら、写真が動き出しそうでした。映画「島守の塔」では「映画」というかたちで当時の様子を再現していたため、沖縄戦の歴史をとても分かりやすく描いており、私は理解を進めやすかったです。平和祈念公園にいる時、私はずっと映画をもう一度振り返っていました。今回の沖縄旅行は学校の団体行事だったため、映画にも映る「島守の塔」にある、当時の沖縄県知事の島田叡さんと警察部長の荒井退造さんのお墓にお参りをすることができませんでした。それが唯一の後悔。 また、島田さんと荒井さんのお墓の後ろには46都道府県の慰霊塔•碑、公園の南口方面には第32軍司令部終焉の地(沖縄守備隊最期の地)があるのですが、こちらも今回私が実際に訪れることができなかった場所。沖縄県で暮らしていた人々以外にも、この沖縄戦にはその他都道府県に住む人たちが参戦していました。そのため平和祈念公園には沖縄県以外の46都道府県の慰霊塔•碑があるのです。次、私がまた沖縄県に行くときはもう一度平和祈念公園に行って、ゆっくりとたくさんの場所を巡りたいです。

美しい沖縄県の過去の姿を忘れない

多くの人を巻き添えにした地上戦が行われた沖縄県。今では観光が盛んで、過去に戦争が起きていた場所とは思えないほど美しい島になっています。ホームビジット体験でお世話になったおじさんとおばさんがこのように言っていました。「戦争はやってもなんの意味もない」。この〝 一言〟が私の胸を打ちました。二人が少し下に目線を落とし、涙ぐんだ瞳をしながら私たちにその言葉を発しました。沖縄の海、「美ら海」の〝美ら〟は、「美しい」という意味です。この美しい沖縄県の過去の姿と映画「島守の塔」を忘れずに、生きていきたいです。
 
映画「島守の塔」製作委員会では自主上映を受け付けています。
問い合わせはtoiawase_hitocinema@mainichi.co.jpまで

ライター
和合由依

和合由依

2008年1月10日生まれ。東京2020パラリンピック開会式では、これまで演技経験がなかったものの、片翼の小さな飛行機役を演じ切り、世界中の人々に勇気と感動を与えた。羊膜索症候群、関節拘縮症による上肢下肢の機能障害を抱える。中学時代は吹奏楽部に所属しユーフォニアムを担当。趣味は映画鑑賞のほか歌や絵画。2021年毎日スポーツ人賞文化賞を受賞。24年5月11日(土)よる10時~ 放送、NHK土曜ドラマ「パーセント」に出演。



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