この1本:「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」 悲哀たたえつつ穏やか
スペインのペドロ・アルモドバル監督は、自身の人生を重ね合わせるように映画を撮ってきた。母親との関係をうかがわせる「オール・アバウト・マイ・マザー」、老境の映画監督が主人公の「ペイン・アンド・グローリー」。アルモドバルの思想や考察が、鮮やかな映像と優れた語り口で万人の胸を打つ物語となる。理想的な最期を描いた本作は、70代半ばを迎えた巨匠の宣言であり、憧れを映しているのかもしれない。 作家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、若いころの親友であり元戦場ジャーナリストのマーサ(ティルダ・スウィントン)が末期がんと知る。マーサは治療を拒み自ら命を終わらせると決意し、イングリッドに寄り添ってくれるように頼んだ。2人は海辺の家に移り住み、マーサは「自分の部屋の扉が閉まっていたら、決断をした証し」と告げる。 イングリッドとマーサは、最期の日々を充実させようと心を砕く。一方で、覚悟を決めたとはいえ死の恐怖から逃れられない。マーサは時に動揺し、イングリッドは日々、恐る恐る扉を確認する。2人の衣装も家の内装も、アルモドバル監督らしい鮮やかな色彩としゃれた意匠で、映像は端正で華やか。その中で、強い友情で結ばれた2人の揺れ動く心境を、ムーアとスウィントンがつぶさに表現する。ゆっくりと進んでゆく物語に大きな起伏はなくても、張り詰めた緊張感がある。 映画には、いくつもの「死」が引用される。書くことが仕事の2人の、対照的な姿勢。戦場で死を目撃し事実を伝えてきたマーサと、空想と想像で死についての物語を作ったイングリッド。2人が見る映画は、ジョン・ヒューストン監督がジェームズ・ジョイスの小説を映画化した遺作「ザ・デッド/『ダブリン市民』より」だ。 死のイメージは美しく、鮮烈。しかし全ての終わりではない。悲哀をたたえつつ親密で穏やか。まさにうらやむべき幕切れではないか。ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞受賞。1時間47分。東京・ヒューマントラストシネマ有楽町、大阪ステーションシティシネマほかで公開中。(勝) ここに注目 安楽死というテーマを扱いつつも、希代のストーリーテラー、アルモドバルの語り口は終始抑制され、時に軽やかですらある。舞台となる森の家は思わず見入ってしまうモダンなデザインで、リビングとテラスを隔てる大きなガラスなどを活用したショットが視覚的な魅惑を生んでいる。寝室のドアをサスペンスの装置として活用し、その開閉によってマーサの生死を確認するイングリッドの心の揺らぎを表現した演出が見事。ほぼ主役2人の対話劇なのだが、意外な人物が登場する終盤の展開にも驚かされた。(諭) ここに注目 イングリッドはなぜマーサの最期に寄り添うことにしたのか。友情か、憐憫(れんびん)か、愛情か、作家的な興味か。いずれもある部分までは見通せるが単純に言い切ることはできない。イングリッドは穏やかで包み込むような温かみを感じるが、会話の端々に理知的なまなざしも浮かべる。マーサが全てを見越していることは想像に難くないが、自分を受け入れてくれるイングリッドに計り知れない人間性をみたのだろう。感情をむやみに表現することを拒絶した本作は、思慮深さと生の息遣いに満ちている。(鈴)